文豪ヘンリー・ミラーは、日本女性でジャズ弾き語りピアニストのホキ徳田にひと目惚れしてのち、せっせと恋文を書いては送った。その慣習は結婚後も続く。ラブレターの総計は300通に及ぶという。

 1982年出版の江森隅弘著『ヘンリー・ミラーのラブレター/ホキ・徳田への愛と憎しみの記録』(講談社)によると、そのうち約250通が、当時まだ彼女の手元に残っていたという。

 この本は、その250通のミラーの手紙、ホキ自身、父親、友人たちへのインタビューを材料に書かれたものである。

 その手紙の束は今でも彼女の手元に残っているのだろうか?

 「コピーは残ってるけれど、残念ながら本物はね。生活のために売ってしまったのよ」
 ホキはさばさばした調子でそう答えた。

 江森さんの本を読むと、ミラーは、自分の死後、ホキが手紙を売り生活の足しにすることを望んでいたふしさえある。彼女が売りやすいよう、不特定の買い主宛、購入の打診をする手紙の下書きを自ら書き残しているくらいだから。その下書き自体の写真もこの本の口絵に載っている。

 ミラーは、たった今、ホキに会って帰宅したばかりなのに、すぐさまペンをとり、我が胸の思いを切々と書き綴る。そんな夜が夜毎続いたようだ。

 ミラーのホキ宛の恋文から一例を引く。

 「私の耳は、まだあなたの声でいっぱいです。あなたを見たばかり
の私の目はぬれています。私はあなたのウェーブした髪の毛を見て、私は竹の森の中をさまよいます。夏の空を走る雲のように往来するあなたの微笑に、みとれています」

 「竹の森の中」という表現は、彼女が日本人であることを意識してのものであろうか。

 手紙には『源氏物語』や浮世絵が出て来るかと思うと、どこかで覚えたらしいキンタマなどという単語も飛び出す。

 自分の祖父と同じ年格好の老人から昼夜を分かたず恋文が届いたら、もらうほうの身にすれば、いい加減にしてよという気持ちにならないとも限らない。

 そのうち、はかのいく返事をもらえないヘンリー・ミラーのほうは、傷心を抱き不眠症に落ち入ってしまう。

 『ヘンリー・ミラーのラブレター』を読んでみると、ホキが老作家の執拗な求愛にかなりうんざり気味だったことが、手にとるように伝わって来る。

 明るい人柄、誰とも会話の弾むホキの周辺にはいつも若い男性が群がっていた。あの頃の彼女は麻雀狂で、日本の男性たちとよくジャン卓を囲んでいた。弾き語りの仕事のあとは、夜毎、朝まで麻雀ではなかったか。

 私にもロサンゼルスくんだりまでいって彼女に貴重なドルを巻き上げられた苦い思い出がある。

 為替レート1ドル360円、海外持ち出し制限500ドルの時代だったから、大被害だったなあ。

 それはさて措き、文豪の連日連夜の求愛作戦にうんざり気味だったホキが、なにゆえ結婚を承諾したのか?ロマンスには謎が多い。
(続く)

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江森さんの『ヘンリー・ミラーのラブレター』も私の手元にはコピーしかない。
その表紙です。

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