サブタイトルの騒音歌舞伎にロックミュージカルとルビが振ってある。『ボクの四谷怪談』は異才・奇才の橋本治が、1976年、『桃尻娘』でブレークする前に、一夜で?書き上げた一大パロディである。

 もとネタはもちろん江戸文政期の鶴屋南北作『東海道四谷怪談』。しかし、時代背景からして「昭和五一年にして文政八年であり、さらに元禄一四年であり、しかも南北朝時代」、場所は「東京都江戸市中」とあり、「そらあんた、むちゃくちゃでござりますがな。」

 衣装は和もあるが洋が圧倒的パーセンテージを占める。それも当世若者風カジュアル・ルックが多い。デザイナーは前田文子。

 原作にある人物がほとんどすべて登場する。民谷伊右衛門(佐藤隆太)、佐藤与茂七(小出恵介)、直助権兵衛(勝地涼)、伊藤喜兵衛(勝村政信)、お袖(栗山千明)、お梅(谷村美月)、お岩(尾上松也)、お熊(麻実れい)などなど。

 見ている限り感覚的にはほとんど現代劇である。浅草観音境内に地べたにすわって傘を商う浪人など、今どきいるはずもないが、すんなり当世の出来事と受けとれてしまう。

 コスチュームと科白のせいだ。

 ロック調のオリジナル・ナンバー(作詞橋本治、作曲鈴木慶一)がしばしば挿入される。役者たちが歌うのだから歌手並みの歌唱力は期待すべくもないが、劇を盛り上げ、先へ先へと進行させる効果はじゅうぶんに果たしている。どの曲もシンプルで乗りがよく、素人が歌ってもサマになるよう作曲されているからだ。

 橋本の台本は一見八方破れである。話の筋も場面も思いっ切りぶっ飛ぶ。蜷川幸雄はこの破天荒なホンをあの手この手で見事誰もが楽しめる芝居に仕立て上げた。和洋折衷なんて序の口、華麗にして猥雑、混乱していると見せて統一感のある橋本・鈴木・蜷川によるミクロコスモスが、眼前に立ち現われる。

 複雑なストーリーの要約はあまり意味がない。興味のある向きは、「すばる」10月号所載の橋本戯曲を手にとればよい。

 橋本戯曲でおどろくのは、ト書きでの場面、衣装、音楽についての指定が詳細になされていることだ。とくにクラシックから現代のさまざまなジャンルの音楽に至る音楽的知識・教養の豊かさ深さには圧倒される。

 砂村隠亡堀の場で繰り広げられ伊右衛門、直助のショウ・ストッパーぶりが圧巻である。MGMのライオンのトレードマークから始まり、映画音楽ありブロードウェイ・ミュージカル・ナンバーありロックあり歌謡曲あり日本民謡あり。すばらしい遊び心だ。

 終幕近くに、稽古台本で8頁もあるらしい伊右衛門の独白がある。佐藤隆太の腕の見せどころである。私の観劇した初日(9月17日)は、力演にとどまり緩急自在に科白を操るところまでには至っていなかった。これからどう磨き上げていくか?

 この独白に続いて伊右衛門とお岩の亡霊との対決場面となる。ミステリーの結末と同じく種明かしは控えるが、ヒントをひとつ。

 両者の対決に肚を冷やしながら、私の頭に突然浮んだのは、西田哲学の神髄を要約したあの言葉、「絶対矛盾自己同一」だった。

 作家や演出家の狙いと西田幾多郎博士の到達点とはそもそもまったく別物だと思うけれど。

 つい哲学用語なんかを持ち出してしまったが、『ボクの四谷怪談』が、おもちゃ箱をひっくり返したような一夜のエンターテインメントであること、間違いなし。

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_yotsuya.html


全員登場の華麗な一場面。
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中央佐藤隆太、そのうしろ麻実れい、右端尾上松也。
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撮影:谷古宇正彦