前回(8月31日)の当ブログに引き続き、WOWOWで見た黒澤明監督作品について書く。

 まず『わが青春に悔なし』。京大教授令嬢で、父の弟子の左翼青年に惹かれるヒロイン役の原節子が、眩しいくらい美しい。白い頬、つぶらな瞳。すでにこの時、のちの小津安二郎作品以前に、彼女は日本の代表的ヒロインの座を確立している。

 戦中の思想弾圧から戦後の農村文化運動まで、時代の流れが、スクリーンからほとばしり出る。黒澤監督は時代の観察者としても第一人者だったのだ。

 スパイ容疑で逮捕された恋人が獄死し、彼の故郷の農村に飛び込んでいく原節子が、すさまじいリアリズム演技を見せる。雨に打たれ、たんぼで稲作に打ち込む姿が痛ましい。

 黒澤監督の演技指導が実に厳しかったという原の談話が残っているようだ。

 ピアノの上手な良家のお嬢さんから農村の働き手へ、こんなにたやすく生活環境を変えることが出来るのか、今日から振り返ると疑問なきにしもあらず。

 しかし、あながちああいう出来事が起こらないとは限らなかったのが、あの激動の時代だったのだろう。黒澤監督第5作、1946年(昭和21年)公開。

 続いて『素晴らしき日曜日』。貧しい恋人同士を演じる沼崎勲と中北千枝子のデートぶりが、微笑ましくもあり、いじましくもある。

 ふたりの持ち金は併せて35円。喫茶店でのコーヒー、1杯5円也。

 爆撃で焼け野原となった東京、焼け残った木造家屋、建ち始めた粗末なバラックが、繰り返し画面に立ち現われる。

 小林信彦『黒澤という時代』(文春文庫)のこの映画について語った章には、さり気なく「焼跡の町を、汚穢車(おわいぐるま)を引いた牛車が通ってゆく」という一行がある。

 小林のこの著書には次のような実に興味深い記述がある。

 「『素晴らしき日曜日』の前年、一九四六年六月に、東宝第一期ニューフェース募集の面接試験があった。面接と実技の日、『わが青春に悔なし』のセット撮影中の黒澤明は、妙にふてぶてしい男を見た。男の態度は照れかくしなのだが、多くの審査員は、それを不遜と見做(みな)した。」

 続けて、
 「軍隊で六年間も昇進しなかったというその男がぎりぎりで及第したのは、審査委員長の山本嘉次郎が『監督として責任を持つ』と発言したためである。
 男は三船敏郎という名前だった。」

 別の資料によると、この新人募集の広募者約4000名、合格者男子16名、女子32名。三船は補欠採用だった。

 『素晴らしき日曜日』は黒澤監督第6作、1947(昭和22年)年公開。

 黒澤明監督が三船と組む最初の作品『酔いどれ天使』は、『素晴らしき日曜日』に次ぐ第7作目、公開は48年である。



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