日活ロマンポルノ第一人者の回想 | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

日活ロマンポルノ第一人者の回想

 キネマ旬報8月上旬号の書評欄で北川れい子さんが、小沼勝著『わが人生、わがロマンポルノ』(図書刊行会)をとり上げ、きわめて好意的な批評を寄せていた。

 「映画が身近な娯楽だった頃の時代を含め、映画作りの現場その他が俯瞰できる格好な読みものだ。あえて“読みもの”と書いたのは、内容が具体的で、しかも実に読み易いからで、(中略)全てが違和感なくストンと入ってくる。その性春エピソードも」

 今、筆の乗っている女性映画評論家が、<日活ロマンポルノ>の代表的監督の回想録を褒めているとあっては、がぜん読みたくなるじゃありませんか。

 自慢じゃないが、私は<日活ロマンポルノ>を一本も見たことがない。映画館でもビデオやDVDでも、、、、。

 このことは今になってみると、芸能界のさまざまな局面に関心を抱いて来た者としては、すこぶる怠慢だったと思う。関心が他のことに向いていたとはいえ、ロマンポルノは、1975年から88年の長きにわたり、日活という伝統ある映画会社の配給網を支えて来た唯一の路線なのだから。

 日活ロマンポルノは1971年に始まり88年に幕を閉じた。その期間中、作品を撮り続けたのは小沼監督ただひとり。『花芯の誘い』から『箱の中の女2』まで作品数47本に及ぶ。

 会社から「セックスシーンが三つ、四つあれば自由に撮っていい」といわれ、助監督から監督に昇進した。スタート時は月の手当て10万円、1本の監督料5万円だった。

 撮影日数1週間から10日。総制作費2500万円。直接費(俳優のギャラなど)750万円。製作費軽減のためオール・アフレコ、フィルムは完成尺の倍しか使わせてもらえなかった。上映時間70分以内とはいえ、それまでの作品の5分の1しか予算がなかったそうだ。

 全頁を通じてひしひしと感じられるのは撮影現場の盛り上がる熱気である。監督と主役を張る女優はもちろん、スタッフ・キャスト全員が報酬の少ないのも忘れ、命がけで仕事にとり組む有り様がリアルに伝わって来る。活動屋の面目躍如!

 助監督、カメラ、照明、録音、大道具などのスタッフたちは、ロマンポルノだからといって一切手抜きをしない。その職人根性には頭が下がる。

 題材が題材だから、小沼監督の回想は演出の苦心談を含め実になまなましい。エピソードの引用は気恥ずかしいので、ここでは差し控えたい。

 小沼監督自身が自作の『箱の中の女2』を封切り館で見たときのこと、女主人公が相手の男に「私をスキーに連れてって」という科白を口にすると、場内にどっと爆笑が起こった。しかし、監督はこの爆笑をネガティヴに受け止めなかったようだ。

 「何故なら当時大ヒットした青春映画『私をスキーに連れてって』を観た観客のうちの数十人がこの劇場に来ている証だから」


表紙からなまなましい本書。
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