マリリン・モンローがベッドで孤独死を遂げたのは、1962年8月5日のことだった。ちょうど50年前のきのうの出来事である(一部に4日説あり)。

 モンローは1926年6月2日生まれだから、そのとき36歳。存命なら86歳ということになる。

 昨日の命日の2日前、8月3日夜、WOWOWプライムで『マリリン・モンロー最後のインタビュー』というドキュメンタリー番組が放映された。

 彼女の死の約1ヶ月前、米写真誌「ライフ」の記者が3日間にわたりインタビューをおこなったこと、その記者が幸い存命であること、そして、そのときのオープンリールのテープが残されていることを突き止め、日本で初めて紹介した番組である。

 テープから流れるモンローの肉声は、あの豊満な肉体とは裏腹にコケティッシュなところはない。率直で好感が持てる。インタビューアー、リチャード・メリーマン氏の温厚な人柄に反応した面もあるかもしれない。

 60年代の「ライフ」といえば巨大な影響力を持つ一大メディアであった。しかもメリーマン氏は、ハリウッド通の記者だったようだ。チャーリー・チャップリンのインタビュー記事を書いたこともあるというから、推して知るべし。

 映画女優としてスランプ気味だったモンローがインタビューに応じた気持も、うなずけなくはない。

 メリーマン氏の記事が載った「ライフ」は62年8月3日号である。この号がいつから書店や新聞スタンドに並べられたかわからないが、彼女の死の直前だったことは間違いない。

 もとより遺書ではないが、この記事には彼女の真実の声が宿っていたはずである。番組は、それが何頁の記事で、写真が何枚、どんな内容だったのか伝えるべきなのに、そこがすっぽ抜けていた。

 映像メディアは印刷メディアに鈍感だからこういう結果になってしまうのだろう。

 それでもモンローが頭もセンスもよく、ユーモア、ウィットを解する女性だったことをホーフツとさせる個所が、ないわけではなかった。

 名声ってなに?という質問に対し、
 「キャヴィアみたいなものね。毎日出されたら嫌になってしまう」

 彼女自身、名声に食傷気味だったことをなんともうまく云い表わしているではないか。

 これは、メリーマン記者ではなく南カリフォルニア大学ルイス・バナー教授の証言だが、例のヌード・カレンダーを撮影していたとき、なにを着ていたの?という質問に
 「ラジオよ」
 と答えているそうだ。撮影中、カメラマンはBGMのつもりでラジオをつけっ放しにしていたのだろう。

 ヌード・モデルをつとめたのは映画界入りする以前の話だが、このアルバイトで得たギャラは50ドル。溜まっていた家賃を払うことが出来たという。

 モンローといえば、腰を振りながら歩くあのモンロー・ウォークだが、その秘密はフェラガモ特製の靴にあったという。ヒールの高い不安定な靴をはくことで生みだされたものらしい。

 かつて野坂昭如氏は「マリリン・モンロー・ノー・リターン」(能吉利人作詞、桜井順作曲)という絶唱?を世に広めたが、果たしてモンローはノー・リターンか。

 この世はもうじき
 おしまいだ
 、、、、、、
 と野坂はそのなかで歌っているが、そうだとしても、モンローは作品のなかで永遠に生き続けることだろう。

『マリリン・モンロー最後のインタビュー』は8月13日(月)深夜1:10amより再放送されます。
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101423/#intro


モンローの伝記本としてはこれが有名です。
『マリリン』(グロリア・スタイネム著、道下匡子訳、草思社)。

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野坂の「マリリン・モンロー・ノー・リターン」はこのアルバムで。
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