渋谷駅東側に誕生した渋谷ヒカリエが賑わっている。地上34階、地下4階、ミュージカル専用劇場東急シアターオーブも開場した(当ブログ7月25日、27日、31日分参照)。

 ヒカリエというネーミングはよくわからないが、光を踏まえての新造語らしい。“渋谷から世界を照す”という意味が隠されていて、ロンドン・オリンピック期間中はオリンピック色にビル全体が染め上げられるとか。

 このご時勢、電力の無駄遣いの様相なきにしもあらず。

 もの好きなので、私も数回覗いてみたが、お店でいつも女性の行列が出来ているのは、ルパンドゥジョエルロブションである。食べログのヒカリエ内ランキングでも第1位を獲得している。

 世界に冠たるフレンチ・シェフの威光はパンにまで及んでいる?パンの味も世界一と保証しませんがね。

 ヒカリエが建設される前、この場所には東急文化会館があった。1956年創業。最上階にプラネタリウムがあった。1階のドイツ洋菓子店ユーハイムの喫茶室は、場所がわかりやすくデイトそのほか待ち合わせに便利だった。

 ここの名物バウムクーヘンの樹木の年輪を思わせる美しい節目が懐かしい。

 東急文化会館内には渋谷パンテオン、渋谷東急1、2、3などの映画館があった。パンテオンで公開された有名作品は『タワーリング・インフェルノ』『ジョーズ』『E.T.』など数知れず。

 ここで私が見て思い出に残っているのは『ラストエンペラー』だろうか。2時間40分を超える大作で、途中あくびも出たが、ベルナルド・ベルトリッチ監督の壮大華麗な絵巻物風演出に酔い痴れた部分も多々あった。

 東急文化会館が建設される以前、すなわち敗戦後のここは、渋谷第一マーケットと呼ばれるバラック建ての小さな店が軒を連ねた半分闇市のような場所だった。どの店もせいぜい間口1間くらいしかなかった。

 そのなかの一軒に「ボン」というバーがあった。4、5人でいっぱいのカウンター、テーブルふたつ、がたぴし音を立てやっと開く引き戸、床は地面むき出しだった。

 昭和28~29年(1953~54年)、私はこの店によく通った。東大、慶応の仏文科の先生方の溜り場だった。トリスのハイボール30円也。誰もが安酒に酔って相手かまわず文学論を闘わす雰囲気がみなぎっていた。

 常連のひとりに舞台、映画で売り出し中の俳優、故芥川比呂志(芥川竜之介の長男)がいた。当時、32~3歳、白皙、長身。それでいてちょっと翳(かげ)があったから、やたらと女性にもてた。

芥川の弟子筋らしく神山繁がいつもいっしょだった。
 「やーあい、芥川の鞄持ち」
 なんて酔った勢いで神山さんをからかった覚えもある。若気の至りとはいえ失礼なことをいったものだ。

 第一マーケットからヒカリエまで、私とこの地の縁は60年に及ぶものがある。


そそり立つ渋谷ヒカリエ。
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人気の高いロブションのパン屋さん。
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現役時代の芥川比呂志(写真集より)。
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