「古い切抜き帖」より(8) 食後酒のアルマニャックは究極のおとなのおしゃれです | 安倍寧オフィシャルブログ「好奇心をポケットに入れて」Powered by Ameba

「古い切抜き帖」より(8) 食後酒のアルマニャックは究極のおとなのおしゃれです

 ここ数年の間に三回ほど、あえて八月にパリへ出掛けている。ことしも蒸し暑い東京を逃れ一週間ほどいってきた。

 八月にパリへいくというと、しばしばどうしてと怪訝な顔をされる。ブラッセリーもブティックもみんな閉まっていると信じ込んでいる人が多いからだ。
 なるほど昔はそうだった。でも最近はパリっ子たちも夏のヴァカンスを精々二週間ぐらいしかとらない。年間で休暇を四週間とるとして、残りの二週間は冬のスキーに回す人たちが多くなっているようだ。

 というわけで、レストランも三つ星は無理だとしても二つ星、一つ星は結構やっている。フォーブル・サントノーレにしても、二十年前は八月は人っ子ひとり見掛けなかったが、ことしはエルメス、ランバンどこも開いていた。そりゃあ観光客相手にひと稼ぎできるもの。

 盛夏のパリでは私は左岸に宿をとるのを習わしとしている。これが秘訣です。昔から左岸のほうが心安立てな店がたくさんあるせいだろうか、八月といえども開いているところの確率がずっと高いような気がする。
 それに昨今はルイ・ヴィトンなど高級ブランドもサン・ジェルマン・デ・プレ界隈にどんどん進出している。そっちのほうの目の保養にもこと欠かない。

 八月のパリは、湿気が低いことが何より嬉しい。たとえ気温が三十度に上がったとしても、リュクサンブール公園の木陰に入れば首筋のあたりが急にひんやりするくらいですからね。

 ところでパリに出掛ける前、ミュージカル『アスペクツ オブ ラブ』を演出中の浅利慶太と顔を合わせたら、
「アルマニャック一本、買ってきてくれよ」
と所望された。
 なるほどこの作品はドラマの進展のためのとても大切な小道具としてアルマニャックが登場する。アルマニャックくらい日本でも手に入らなくはないが、とくに本場のおいしいのを飲みたいと思う彼の気持ちもわからなくはない。

 『アスペクツ オブ ラブ』は、『キャッツ』『オペラ座の怪人』のアンドリュー・ロイド・ウェーバーが作曲した珠玉のミュージカルである。『猫』や『怪人』ほど知名度は高くないが、全編、美しく親しみやすい旋律に彩られ、私にはこちらのほうがどのくらい好みに合っていることか。

 表題の『アスペクツ オブ ラブ』は、強いて日本語に訳せば「さまざまな恋模様」ということだろうか。題名に違わず、次から次へと実に色とりどりの恋人たちが現われては消え、消えては現われる。フランス人の舞台女優ローズの色気にあてられた十七歳のイギリス人少年アレックス。ローズは、アレックスが兵役をつとめている間に彼の叔父で貴族のジョージと同棲する仲となる。

 ジョージにはまたイタリア人彫刻家ジュリエッタという恋人もいる。しかも彼女とローズは、ジョージを共有しながら同性愛に落ちいる。やがてイギリス人貴族とフランス人女優は一女をもうけるが、その娘ジェニーは、思春期を迎えるとともに、いとこアレックスを熱愛するようになる。
 そしてジョージの死後、アレックスはジュリエッタと、、、、、。ああ、ややこしい。

 ところが、この複雑な人間関係もロイド・ウェーバーの甘美な音楽に裏打ちされると、難なくすうっと頭に入ってくるんですね。これぞ音楽の効用というものだろうか。

 ローズとアレックスが初めて会ったのは、フランス南部の町モンペリエである。芝居がはねてふたりはキャッフェに出掛け、女はアルマニャックを、男は白ワインを注文する。
 独特な芳香を誇るブランディの一種アルマニャックは、いかにもしたたかに芸の世界に生きる女優にふさわしい。一方、白ワインは、あまりにも無難な選択で、ませているとはいえティーンエイジャーの男の子にはこれぐらいしか思いつかなかったのだろう。
 頼んだ酒がふたりの年齢、性格、環境などを一瞬にして浮き彫りにして、興味深いものがある。

 話の弾みから、アレックスがローズをピレネー山脈の麓の叔父ジョージの別荘に誘う、という思いがけない展開になる。しかし、そこは男性にしたたかなローズである。ふたりきりになった夜、挑発するかのように「このアルマニャック、一気に飲んでごらんなさい」
 とグラスを差し出す。ぐっと飲み乾すアレックス。飲み終わったとたん、のどは焼け頭はくらくらしたにちがいない。

 アルマニャックは、コニャックとともにフランス産ブランディの双璧である。でもふたつは原料、製法などに大きな違いがある。産地もコニャックがボルドー市より北なら、アルマニャックはずっとずっと南と遠く隔たっている。
 アルマニャックは、コニャックの洗練味とくらべて少し泥臭いけれど、パリの洒落者にはその田舎臭さに潜む芳醇な風味を嗅ぎとり、珍重する向きも少なくない。

 どうです、こんどボーイフレンドにフランス料理に誘われたとき、食後酒にアルマニャックを注文してみたら、、、、、、。(「GRAND MAGASIN」1998年11月号)