十月中旬、フィレンツェに出掛けた。
浅利慶太演出のオペラ「蝶々夫人」を見るためである。

“浅利・バタフライ”は、一九八五年十二月、ミラノ・スカラ座で初演されたのち、この格式高い歌劇場で三度も上演された。九六年には東京、横浜、尼ヶ崎でもお目見得したから、「うん、あれなら知っている」というオペラ通が、結構、私たちのまわりにもいるにちがいない。

 フィレンツェでの公演は、今回が初めてのことである。指揮者はアメリカ人のダニエル・オレン、蝶々さんを歌ったのはイタリアのプリマドンナ、ダニエ・デッシ、公演場所は由緒あるテアトロ・コムナーレ・ディ・フィレンツェだった。

 実は、“浅利・バタフライ”にとって、フィレンツェという土地で初めて上演されたというのは、とても有意義のある出来事なのである。なぜって、オペラとはそもそもこのフィレンツェで生れたアート・フォームなのだから。

 お勉強のために音楽之友社版・標準音楽辞典のオペラの項を引いてみよう。
 「オペラはあたかも人間の誕生日のように明瞭にその誕生の時と所とを定め得る。生れた場所はイタリアのフィレンツェのバルディ伯の宮廷である。時は一五九七年すなわちルネッサンス末期であった」

 作品はギリシャ神話に基づいた「ダフネ」。音楽の神アポロンに懸想されたものの、その手を逃れ、月桂樹に化身したかのダフネがヒロインである。当時、フィレンツェにいた詩人、作曲家たちが一篇の音楽劇に仕立て、パトロンの貴族の館で披露したというわけだ。

 現在の歌劇場、テアトロ・コムナーレ・ディ・フィレンツェは、もちろん貴族の館なんかではない。れっきとした公共施設である。コムナーレとは市町村の、、、、ということで、この歌劇場の理事長はフィレンツェの市長さんが相つとめる。

 “浅利・バタフライ”の第一日の夜、オペラがハネてから英正道・駐イタリア日本大使主催のパーティが開かれたが、マーリオ・プリミチェーリオという市長さんが、ちゃんと顔を出していた。この人、役人臭くなくってプリマといっしょにキャンティ・クラシコかなんかをぐいぐいやっていて、とっても好感がもてた。日本の市長さんじゃ、こうはいかないだろうなあ。

 三泊四日の短いフィレンツェ滞在中、私は、是非とも訪れなくてはならないと心に決めていた場所がひとつあった。トルナブオニ通りのグッチである。といってもガール・フレンドか誰かのためにプレゼントを買い求めるためではない。
 ことし十一月七日が十七回忌の祥月命日にあたる越路吹雪を偲ぶよすがとしたかったからだ。

 今では越路吹雪という名前はともかく、そのあでやかな舞台姿を知る人は、ほんとうに少なくなってしまった。たとえていえば彼女は、大輪の薔薇のような見事なエンターテイナーだった。

 私は、コーちゃんとは個人的にも親しく付き合っていたからよく知っているのだけれど、日本人としては誰よりも先にグッチを、エルメスを、ルイ・ヴィトンをこよなく愛した人だった。日本では、この手の高級品を見たことも触ったこともない人たちばっかりだった時代に、彼女は、これらの品々を時には颯爽と時には小粋に使いこなしていた。

 越路吹雪は、シャンソンとミュージカルの女神だっただけではなく、ヨーロッパ一流ブランドのパイオニアでもあったということを忘れてはなるまい。

 コーちゃんは、年に一度はフランスやイタリーに出掛け、おしゃれのセンスに磨きをかけること、おさおさ怠りなかったが、現地のブティックでとりわけ気に入っていたのが、フィレンツェのグッチだった。小ぢんまりとした店なのに、品ぞろえが豊富で、しかも店員たちの応対がいいと、いつもほめちぎっていた。

 越路がこよなくグッチを愛した六〇年代終わりから七〇年初めにかけては、このブランドが光輝いていた時代だった。あの赤と緑のマーク、Gのイニシャルの旅行鞄、ハンドバッグ類は、並のOL、学生から見たら高嶺の花のようなものだったろう。

 それからのち、九四年に率然と復活するまでの長い間、われらがグッチが低迷を続けていたことは、よく知られている通りである。

 思い切ってチーフ・デザイナーにアメリカ人のトム・フォードを起用することによって、グッチはふたたび全盛期を迎えることができた。往年の高級感を損わず、若々しさと新鮮さとあでやかさをとり入れた新生グッチを、もしコーちゃんが生きていたら、なんと見ることだろうか。

 もちろん、私は彼女の反応をじゅうぶんに想像することができる。トルナブオニ通りのグッチへ出掛けて、スカーフからバッグから靴からなにからなにまで買い占めてしまうにちがいない。

 コーちゃん、あなたの舞台をいやというほど演出した浅利慶太が、フィレンツェでオペラをやっているんですよ。三人でアルノ川のほとりのハリーズ・バーあたりでカンパリ・オレンジでも飲みたかったねえ。(「GRAND MAGASIN」1997年1月号)


(追記)2005年、トム・フォードは自らの名を冠したブランドを創設し2009年には『シングルマン』で映画監督デビューも果たした。