210頁以上もの読みでのある公演パンフレットで、主役の没落地主夫人ラネーフスカヤを演じる浅丘ルリ子と翻案・演出の三谷幸喜とではどちらが写真の枚数が多いか、比べてみた。

 浅丘がカラー2枚、モノクロ1枚、三谷がカラー14枚、モノクロ1枚。三谷はこの『桜の園』の原作者アントン・チェーホフに扮するという凝りようだ。19世紀のロシアの劇作者になり切ろうと口ひげ、顎ひげをつけ、鼻眼鏡をかけちゃったりして。

 今、誰よりも客を呼べる喜劇作家兼演出家だから、この扱いの差、ま、当然か。

 三谷は、この有名な戯曲を「『世界初』のつもりで『喜劇・桜の園』」として演出したという。

 そんなわけで、芝居の始まる前に出演者のひとり青木さやかが登場して、客席に「皆さん、笑ってくださいね」と呼び掛け、続けて三谷自身のナレーションによる「これは喜劇ですから」という駄目押しもある。

 でも私は、2時間とちょっとの上演時間中、抱腹絶倒はもちろん、つい大声を立てて笑ってしまうこともまったくなかった。

 どこからか笑いのさざ波が起こり、それが客席全体を覆い尽くすという光景も見当たらなかった。

 三谷幸喜が喜劇として演出したいと思った根拠は、チェーホフが“四幕の喜劇”というただし書きを付けていること、三谷自身、「これは絶対ギャグだなと思った箇所」が多々あったからだというのだけれど。

 この芝居の時代と国柄は、農奴解放令の出された20世紀初めの南ロシアである。特権階級のラネーフスカヤ夫人、その兄ガーエフ(藤木孝、好演)らは時代にとり残されようとしている人物たちである。

 笑いが生じない一因は、時代の変化を察知していない支配階級のとんちんかんぶりが、きちんと描かれていないからではないか。

 新興成金で桜の園の新しい持ち主となるロパーヒン(市川しんぺー)の卑屈さ、強がりも笑いを呼ぶ要因になるはずだが、そこもうまく機能していない。

 奇才三谷幸喜をもってしてもチェーホフは難物という証明として一見の価値あり(切符は売り切れのようだけれど)。

 (7月8日まで、PARCO劇場、6月13日所見)

http://www.parco-play.com/web/page/information/sakuranosono/


中央のふたり藤木孝と浅丘ルリ子、左端市川しんぺー。
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浅丘と市川。
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撮影:阿部章仁