藤島泰輔氏の『孤独の人』(岩波現代文庫)は、第一章「昏迷」からぐいぐい読ませます。皇太子殿下の学友たちが、アメリカからやって来た英語教師ミセス・ベントンの助手、沢田恵子に向って放つ悪口雑言のすざまじいことといったら、、、、、。

 沢田先生が「Quiet Please!」といったことに対し、生徒たちは口々に叫びます。
 「日本語で言え、日本語で。」「オウ・ノウ・ミス・サワダ」「僕達ァ、ジャップだ。どうせジャップだ。」「毛唐の婆さんにヨロシク。」

 作中にミセス・ベントン自身が活躍する場面はありませんが、その人物像は、殿下に英語と民主主義を手ほどきしたエリザベス・ヴァイニング夫人が、明らかに下敷になっていると思われます。

 終章「孤独」では殿下の誕生日に御所に学友たちが招かれ、酒を呷り、男性同士でダンスに打ち興じる光景が描き出されます。とくに少年同士でルンバを踊る場面の異様なこと!

 学友たちは結構悪童で、誕生日のお祝いの品としてLP1枚とともにヌード写真のトランプを持参します。しかも、トランプには殿下とお妃候補のツーショットをしのび込ませるという念の入れようです。

 皇室は今も昔も“竹のカーテン”に閉ざされているわけではないのかもしれません。

 前回、私は『孤独の人』を「青春の真っ只中での孤独を追求した生真面目な純文学」と高く評価しました。しかし、これはかならずしも私のひとりよがりではありません。

 文芸評論家坪内祐三氏は、週刊文春の人気連載コラム「文庫を狙え!」でこうまで明言しています。

 「傑作だ。
 しかも、かなり踏み込んだことまで書いてある。」

 実は、この小説が処女出版された1956年当時から、文芸作品として高く買っていた人がいないわけではありませんでした。たとえば、三島由紀夫氏は初出版時の単行本に寄せた序文でこう書いています(今回の岩波現代文庫版にも収められています)。

 「小説的に興趣のある點は、皇太子なる人物が、丁度故人を女主人公にした『レベッカ』のやうに、小説の背後に淋しい肩を見せて立ってゐるだけで、すべての登場人物に影響を與へてゐることである。作者が小説家として拉し來った企らみは、正にここにあったのかもしれない。」

 三島氏が藤島氏の学習院高等科の先輩だったという立ち場を引き算しても、じゅうぶんに客観性のある評価だと思われます。


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