きのうに引き続き“琥珀の女王”ジョゼフィン・ベーカーにまつわる逸話を―。

 ジョゼフィンはアメリカ生まれだが、パリのレヴュウで世界的スターとなった。故国への愛も強いが、第二の故郷パリへの深い思いも捨て難い。どちらかひとつをとることが出来ない胸のうちを切々と歌ったのが、1930年、彼女が放ったヒット曲「二つの愛」(「J’ai Deux Amours」)である。

 戦前の日本のいわゆるインテリたちはフランスへの憧れを人一倍強く抱いていた。その思いはなにより萩原朔太郎のあの有名な詩句に現れている。

 ふらんすに行きたしと思えども
 ふらんすはあまりにも遠し
 せめて新しき背広をきて
 きままなる旅にいでみん
      (『純情小曲集』)

 というわけで、私より少し年配の旧制高校生、大学生は、皆、このジョゼフィンのこの歌を片ことのフランス語で歌えたものだ。フランス語の歌詞に片仮名を振って覚えたのだろう。

 ジェ・ドゥ・ザムール
 モン・ペイ・エ・パリ
 (J’ai deux amours
 Mon pays et Paris)

 ジョゼフィンがパリで「二つの愛」を当てた2年後の1932年(昭和7年)、淡谷のり子(1907~99)が日本人で初めてこの曲を吹き込んでいる。題名は「二人の恋人」。

 故郷はいとし いとしけれど
 我を酔わす 楽し巴里 巴里
        (訳詞佐伯孝夫)

 20年後の52年(昭和27年)、淡谷はこの曲を再吹き込みしていて、彼女の集大成CD3枚組み『私の好きな歌』(ビクターエンタテインメント)で聴くことが出来る。

 澄んだ声、端正な歌いぶり、そのなかに細やかな抒情が滲み出ている。「別れのブルース」「雨のブルース」などの流行歌で知られる淡谷だが、シャンソンも数多く歌っている。

 昭和の初め、船便しかなかった時代にジョゼフィンは、歌でアメリカとフランスを繋げ、淡谷は更にそれを日本に繋げた。気の遠くなるような作業だが、歌に秘められた力強さがそれを可能にしたのだろう。


CD10枚組み『シャンソン名曲大事典』(EMIミュージック・ジャパン)の7枚目に
ジョゼフィンの「二つの愛」が入っています。

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『私の好きな歌』で淡谷の「二人の恋人」を聴くことが出来ます。
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