きのう紹介した銀座のコーヒー店、カフェ・ド・ランブルのアイスコーヒーの逸品“琥珀の女王”から、久しぶりにジョゼフィン・ベーカー(1906~75)のことを思い出した。

 この店の店主もパリのレヴュウで一時代を画したジョゼフィンがこの別称で広く知られていたことを承知した上で、借用したものと思われる。

 ジョゼフィン・ベーカーはアメリカ、セント・ルイスの生まれ、父親はスペイン人、母親は黒人だった。均整のとれた肢体、優れたリズム感に恵まれ、十代から黒人レヴュウの舞台に立ち、チャールストン・ダンスで人気を集めた。

 1925年、フランスに渡る。ダンスだけでなく歌にも秀で、「二つの愛」「かわいいトンキン娘」などの世界的ヒットも放っている。

 しかし、彼女はあくまでも歌手としてよりレヴュウの花形であった。豪華な舞台装置の前で大勢のダンサーたちを従えて舞台に現れるとき、もっとも光輝いていたようだ。

 腰にバナナをぶら下げ、美しい両脚を惜し気もなくさらして踊る彼女の写真が、今でも残されている。トップレスの写真もある。

 レヴュウのスターとはいったいどんな存在だったのか。シャンソン研究の第一人者蘆原英了氏の名著「巴里のシャンソン」(白水社)から引く、(蘆原さんは、レヴュウをフランス語読みでルヴュウと記しているが、もちろん同じ意味である)。

 「ルヴュウの大スタアというのは、その人が舞台に姿を現わしただけで、みんなが心をとらえられてしまうような強力なパアソナリティを持っていて、その上歌えて、踊れて、芝居のできる人のことです。この場合、パアソナリティというのは個性、人柄、持味、とでも解釈したらよろしいでしょう」

 蘆原先生のこの定義が、今そっくり当てはまる超大物は誰か?マドンナ、セリーヌ・ディオン、レディーガガか?

 舞台様式や音楽ジャンルはまったく違うけれど、ジョゼフィンと現代の彼女たちの間には強烈な個性、卓越した技倆という点で相通じるものがある、といえないだろうか。



ジョゼフィンの色っぽいポーズです。
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