なんども来日したフランク・シナトラのコンサートには、かならず出掛け楽しんで来たつもりだが、忘れられないのは、いつも1曲ごとに編曲者の名前をいい添えたことである。

 ライヴ盤を聴けば、たちどころに彼のその流儀を確認することができる。たとえば『Sinatra 80th/LIVE IN CONCERT』(EMIジャパン)での「ニューヨーク、ニューヨーク」。歌い出す前に、フレッド・エブ(作詞)、ジョン・カンダー(作曲)とともに編曲者ドン・コスタの名前を挙げているというように。

 蔭の功労者への思い遣りか。歌と歌手を生かすも殺すもアレンジャー次第ということを、長年のキャリアから身をもって知り尽くしていたからこそ。

 もっとも、コンサートでは編曲者の名前をしばしばとり違えたことがあったという。日本のジャズ・ヴォーカル編曲の第一人者だった故小川俊彦氏に、「シナトラのアレンジャーたちとヴォーカル・アレンジメント大発展史」という大論文?がある(「ジャズ批評」97号“フランク・シナトラ大全集”所収)。

 その中で小川氏はこう書いている。
 「あれだけ膨大なレパートリーのアレンジャーをすべて正確に覚えるなどということはシナトラならずとも不可能なことであろう」

 初期のシナトラの人気はトミー・ドーシー楽団(1940~42年在籍)で培われたものだが、彼は同楽団を退団するおり、トランペット奏者兼編曲者のアクセル・ストダールを引き抜いている。週給130ドルをいきなり650ドルに上げて、くどいたという。

 この時代のシナトラの人気は、もっぱら若い女の子たちによって支えられていた。女の子たちをつかまえるには、どう自分のセックス・アピールを前面に押し出すかにかかっている。艶っぽい彼の声、色気たっぷりの歌いぶりを引き立たせるには、ストダールの編曲が必要だったようだ。

 以下、小川氏の文章から。

 「その結果ストリングスがサックスに代わってオーケストレーションの主役になった。ヴァイオリン群はミュートを付けることで一層ソフトで官能的になり、チェロからヴァイオリンの超高音までの音域の広さが表現の幅を大幅に広げた」

 当時のシナトラ・ファンの女の子たちはボビー・ソクサーズと呼ばれていた。ボビー・ソクサーズとは、くるぶしの上まであるボビー・ソックスをはいたティーンエイジャーズのことである。

 シナトラは、自分が受けるにはどうしたらいいか知り尽くしていたようだ。だから大枚はたいて名アレンジャーを引き抜き、行をともにしてもらったのだろう。

 以下、小川氏の労作に基づき、シナトラに名編曲をもたらした代表的アレンジャーの名前を挙げておく。

 アクセル・ストダール、サイ・オリヴァー、ネルソン・リドル、ゴードン・ジェンキンス、ロバート・ファーノン、ビリー・メイ、ニール・へフティ、クインシー・ジョーズその他。

 そうそうたる顔ぶれだが、オーケストレーション以前の基本的なアイディア(専門用語ではスケッチ、あるいはマテリアル)は、多くの場合、本人から出されたらしい。

 冒頭に紹介したシナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」を歌い出すまでのコメントだが、「orchestrated by」といってからドン・コスタの名前を口にするまで5秒くらい間を置いている。このすばらしい前奏に耳を傾けてくれよ、とほのめかしているのだろう。

 そして最後に捨てぜりふのように「stolen by me.」

 「でも、この歌をひとり占めにしているのはこの俺様さ」「3人でかかって来てもかなうまい」
 というほどの意味と受けとれる。

 この洒落、誰もが認めるオーラのあるシナトラだから決まるんですよね。



小川俊彦さんの“編曲家論”が載っています。
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