ピート・ハミル著『ザ・ヴォイス/フランク・シナトラの人生』(馬場啓一訳、日之出出版)を久しぶりに読み返した。

 ハミルがシナトラや彼の仲間と痛飲した一夜のくだりが、実に興味深い。時は1970年春、場所はニューヨーク3番街の名の知れた酒場P.J.クラークス。雨の激しく降る晩だったが、コンサートを終えたシナトラは上機嫌だったという。

 テーブルは映画、ボクシングの話題で盛り上がる。地上最低のアメリカ人選びなんて遊びもおこなわれ、シナトラがひいきにしたリチャード・ニクソンの名前も飛び出す。

 初め同席したきれいどころを帰したあとには、アーネスト・へミングウェイとF.スコット・フィッツジェラルドのどっちが偉大かなどという文学論も戦わされる。文学論には女性不要という生真面目さ?が微笑を誘う。

 シナトラはヘミングウェイには『グレート・ギャツビー』は書けない、だからフィッツジェラルドが偉いと主張して譲らない。

 どっちが偉いかって?「何たってエラ(フィッツジェラルド)だろう」という冗談をいう奴もいて、全員大笑いとなった。

 店の中にはひっきりなしにシナトラのヒット曲が流れていた。トイレに立ったとき、シナトラは店主にひと声掛けた。
 「ここのジュークボックスにはこのイタ公の歌手以外のはないのか」

 シナトラはイタリアはシチリアからの移民の血を引く。彼が幼いころはイタリア系は少数派だったので、ひどいいじめにも遭った。ハミルは次のように明言する。

 「芸術と個性を通してイタリア系アメリカ人のイメージを変革させたという意味で、シナトラはひじょうに希有な人物である」

 あるとき、シナトラは著者にこう告白した。
 「最初の頃、自分の楽器は声かなと思ったがそうではなかった。マイクロフォンだったんだ」

 シナトラ以前はどんな歌手もマイクロフォンの前に棒立ちになって歌うだけだった。しかし、彼はマイクを倒したり引き付けたりしながら歌って見せた。ワイヤレスもハンドマイクもまだ開発されていなかった時代、スタンドを鷲づかみにし自在に操る姿はさぞや新鮮に映ったことだろう。

 この独特のマイクさばきから「自然で親密な聴衆との一体感」が生じる。そのほか「巧みな息継ぎによるシームレスな音の輝き、完璧な発声による洗練されたニューヨーク風の切れ味」も身につけるようになる。

 これらが総合されてシナトラ・サウンドが造形されたというのが、ハミルの解析の結論である。

 さあ、それではもういちど、フランク・シナトラのアルバムに耳を傾けるとしようか。



マイクの前のシナトラ。「ザ・ヴォイス」より。
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