うーん、伊達に年をとっていないなあ、いい味を出す役者になったなあとつくづく感心させられた。劇団四季公演「アイーダ」(四季劇場<秋>)でゾーザー役を演じている飯野おさみである。
『美女と野獣』『ライオンキング』に次ぐディズニー・ミュージカル第3作『アイーダ』は、同名のヴェルディ作曲の高名なオペラと荒筋は変わらない。エジプトの若き武将ラダメスと敵国の王女アイーダとの悲恋物語である。ラダメスは、自国の王女アムネリスと婚約を交わしながら、捕われの身になってなお毅然たる態度を失わないアイーダに心惹かれていく、、、、。
ただしこちらは、エルトン・ジョンの音楽である。
飯野おさみの扮するゾーザーは、ラダメスの父、そしてエジプトの宰相である。息子と王女の婚約を蔭で画策するのもこのゾーザーにほかならない。密かに国王の暗殺を企てる悪の権化でもある。
「Another Pyramid」「Like Father, Like Son」など堂々たるミュージカル・ナンバーも用意されていて、主役ではないものの、やり甲斐のある役どころである。
高度な歌唱力とダンス力、陰影に富んだ演技力を要求されるので、到底、軽くちょろまかすというわけにはいかない。
ジャニーズをスタートラインとし、長年、劇団四季で研鑽を積んで来たその成果が、今、このゾーザーに結実したかのようみ見える。
飯野は、ジャニーズ事務所初代アイドル・グループ、ジャニーズのメンバーのひとりである。他のメンバーは真家ひろみ(故人)、中谷良、青井輝彦。
このジャニーズこそ、ジャニーズ喜多川という世にも希なタレント育成の名手が最初に手掛けたグループだった。1962年結成、67年に解散した。
つまり飯野の芸歴は62年から数えことしで50年ということになる。現役時代のジャニーズを知る私としては、おちやみ(飯野の愛称)よ、よくぞ生き残って来たものだと格別の思いを抱かずにいられない。
今、私たちがジャニーズというとき、意味するのは飯野らが所属した元祖ジャニーズのことではない。あまたのジャニーズ事務所系のアイドル・グループ、あるいはそれらのグループに名を連ねる個々のスターたちのことである。
いったい、今、第一線にいる彼等の50年後の運命はどうなっているのか。いったい何人が、誰と誰とがどういうかたちで生き残っているであろうか。
『アイーダ』で見た飯野おさみの姿はきわめて地味なものかもしれない。しかし、現役ミュージカル俳優としての揺るぎない存在感が滲み出ていた。
芸の研鑽だけではなく、人生のさまざまな体験(私は彼のロマンスも知っている)が、今日の彼を形作る大きな糧(かて)となってのことだろう。
飯野おさみの今日の姿は、もとアイドルの50年後の到達点としては、あるべき理想型かもしれない。、
『美女と野獣』『ライオンキング』に次ぐディズニー・ミュージカル第3作『アイーダ』は、同名のヴェルディ作曲の高名なオペラと荒筋は変わらない。エジプトの若き武将ラダメスと敵国の王女アイーダとの悲恋物語である。ラダメスは、自国の王女アムネリスと婚約を交わしながら、捕われの身になってなお毅然たる態度を失わないアイーダに心惹かれていく、、、、。
ただしこちらは、エルトン・ジョンの音楽である。
飯野おさみの扮するゾーザーは、ラダメスの父、そしてエジプトの宰相である。息子と王女の婚約を蔭で画策するのもこのゾーザーにほかならない。密かに国王の暗殺を企てる悪の権化でもある。
「Another Pyramid」「Like Father, Like Son」など堂々たるミュージカル・ナンバーも用意されていて、主役ではないものの、やり甲斐のある役どころである。
高度な歌唱力とダンス力、陰影に富んだ演技力を要求されるので、到底、軽くちょろまかすというわけにはいかない。
ジャニーズをスタートラインとし、長年、劇団四季で研鑽を積んで来たその成果が、今、このゾーザーに結実したかのようみ見える。
飯野は、ジャニーズ事務所初代アイドル・グループ、ジャニーズのメンバーのひとりである。他のメンバーは真家ひろみ(故人)、中谷良、青井輝彦。
このジャニーズこそ、ジャニーズ喜多川という世にも希なタレント育成の名手が最初に手掛けたグループだった。1962年結成、67年に解散した。
つまり飯野の芸歴は62年から数えことしで50年ということになる。現役時代のジャニーズを知る私としては、おちやみ(飯野の愛称)よ、よくぞ生き残って来たものだと格別の思いを抱かずにいられない。
今、私たちがジャニーズというとき、意味するのは飯野らが所属した元祖ジャニーズのことではない。あまたのジャニーズ事務所系のアイドル・グループ、あるいはそれらのグループに名を連ねる個々のスターたちのことである。
いったい、今、第一線にいる彼等の50年後の運命はどうなっているのか。いったい何人が、誰と誰とがどういうかたちで生き残っているであろうか。
『アイーダ』で見た飯野おさみの姿はきわめて地味なものかもしれない。しかし、現役ミュージカル俳優としての揺るぎない存在感が滲み出ていた。
芸の研鑽だけではなく、人生のさまざまな体験(私は彼のロマンスも知っている)が、今日の彼を形作る大きな糧(かて)となってのことだろう。
飯野おさみの今日の姿は、もとアイドルの50年後の到達点としては、あるべき理想型かもしれない。、