ブルース・スプリングスティーンの新アルバム『レッキング・ボール』の真ん真ん中に、同名の楽曲がどっしりとすわっている。当然ながら本アルバムの目玉である。

 レッキング・ボールとはビルディングなどをぶっ壊すときに用いる大きな鉄球を指す。この歌は、スプリングスティーンの地元ニュージャージー州のジャイアンツ・スタジアムがとり壊されることになったとき、旧球場に別れを告げる歌として作られたものらしい。そうか、それだから鉄球なのか。

 しかし、この歌のなかでのレッキング・ボールはアメリカの現状打破を象徴する意味も担っている。

 おまえの鉄球を下ろしてみろ/おまえの鉄球を下ろしてみろ/さあ、おまえの最高の一撃がどんなものか/俺に見せてみろ、、、、、(三浦久訳)

 スプリングスティーンが「最高の一撃を俺に見せてみろ」と挑発する相手は誰?自分の仲間、若い後輩たちか?更に彼はハッパを掛け続ける。

 怒りをもち続けろ/怒りをもち続けろ/怖気づくな

 怒りこそ破壊のためのエネルギーの源だといいたげである。

 スプリングスティーンはギターの弾き語りで静かに歌い出す。バックの演奏、コーラスはややヴォルテージを上げるが、彼自身は、終始淡々たる歌いぶりである。激昴も咆哮もない。

 Hard times come and hard times go and、、、、、と繰り返し歌い、Yah, just to come againと締める個所も、節度が保たれている。

 生まれ育ったニュージャージーへの郷愁を歌いながらも、その裏側には母国アメリカの現状に対する怒り、告発があるはずだから、もっと絶叫すべきではないかと思いながら、なんどか聴いてみるうちにふと得心がいった。

 そうだ、“ボス”はアジテーションをたっぷり含んだプロテスト・ソングだからこそ、押さえ気味に歌っているのではないか、と―。

 とはいえ、音楽で社会告発をおこなおうとしたら、武器となるのはロックだけである。激しく叫ぼうが静かに語ろうが、有効な手段はロックしかない。

 あるいはロック歌手であれば、プロテスト・ソングの道に進まざるを得ない、というべきか。

 今、私は、この歌を初めとしブルース・スプリングスティーンを聴いているうちに、ロック(あるいはロック歌手)と社会的プロテストとの相互関係について少しばかりわかって来たような気がしている。



改めて いい男だなあ。
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