第一線洋楽マンのブログ“HIGH-HOPES管理人のひとりごと(洋楽ロック)”で、ブルース・スプリングスティーンの新アルバム『レッキング・ボール』をめぐって、ニューヨーク・タイムズにきわめて興味深い記事が掲載されたことを知った。

 同紙のmusic criticふたりが紙上で激しいディスカッションを繰り広げたというのだ。しかも、ご丁寧に翻訳まで載せてくれている。私は同紙の文化欄に特別の信頼を置いているので、わくわくしながら目を通した。

 もちろん、このアルバムが国を憂う気持(愛国心と云い替えてもいい)を主題にしていることを前提としての議論である。

 否定派のJon Caramanicaはピート・シガーを引き合いだし、第1曲目の「WE TAKE CARE OF OUR OWN」についてこう批判する。
 「スプリングスティーンがシガーの伝統に足を踏み入れたとしよう。シガーには政治的にも美学的にもアイマイさはないが、ブルースはルーズなままだな」

 あるいは、
 「この歌からカトリーナ台風後の状況に触れている部分を除けば、アメリカのアイデンティティを政治の権威の外に位置づけようという長広舌だけだ。そいつは、とるに足らぬデモクラシーとやらにとって代わろうとするナショナリズムだよ」

 これに対し擁護派のJon Parelesは声を大にして叫ぶ。
 「彼はスーパースターだ。しかも一点の曇りもないくらい純心無垢と来ている。働く者の保護者、(壊れゆく)アメリカン・ドリームの代表者という役割も十分過ぎるほど心得ている。でいながら全力投球のロックンロール・エンターテイナーでもあるんだ」

 HIGH-HOPEさんの訳と英語の原文を参考にしつつ、私なりの訳文でごく一部を抜き書きしてみました。

 対談のなかでは、かなり突っ込んだ音楽的分析もおこなわれている。

 このようなクリティック同士による真剣勝負の討論にアメリカの代表的新聞が大きく頁を割くというのは、ブルース・スプリングスティーンの大物ぶりを物語ってあまりある。彼の歌すべてが、今、アメリカとアメリカ国民が置かれている状況と深く係わり合っているからでもあろう。

 アメリカという国ではロック音楽と政治・経済・社会とジャーナリズムとが、見事なほど連環している。私はそこがとても羨ましい。


洋楽ロック(3/19付より):http://ameblo.jp/high-hopes/day-20120319.html
ニューヨーク・タイムズ紙(3/4付より):
http://www.nytimes.com/2012/03/04/arts/music/pareles-and-caramanica-on-springsteens-wrecking-ball.html?pagewanted=1&_r=1&sq=Jon pareles&st=cse&scp=16


熱演するスプリングスティーン。
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