先週金曜日に引き続き、もう一回、江利チエミのアルバム『Chiemi+JAZZ』(キングレコード)について書きます。

 十代のレコーディングが全26曲中12曲、二十代のレコーディングが4曲ある。残りの10曲は三十代ということになる。四十代のものはない。

 ちなみに彼女がこの世を去ったのは、昭和57年(1982年)2月13日のこと。享年45歳だった。

 聴いていて、つい耳をそばだてたくなるのは、16歳のときの「サイド・バイ・サイド」から21歳のときの「セントルイス・ブルース」「虹のかなたに」までの14曲だろうか。

 とにもかくにも舌を巻くほどうまい。幼くして、あるいは若くして下手にうまいと鼻持ちならないが、その種の嫌らしさがまったく感じられないのだ。知らずに聴いたら、誰だって十代の録音でも二十代後半か三十代になってからの録音だと勘違いしてしまうだろう。

 昭和55年(1980年)、チエミは、「30thアニバーサリー」と題した全国巡演のコンサートをおこなっている。実は私は、この催しのパンフレットに寄稿しているのだが、次のように記している。

 「デビュー当時のチエミは、文字通り少女歌手であった。本来ならいたいけないという印象が強いはずなのに、そのころから一種のたくましさが身に備わっていた」と。

 今から30年前に、それより更に30年前のデビュー当時のチエミについて書いた私の感想が、大きく間違っていなかったことが、『Chiemi+JAZZ』によって改めて証明されたように思える。

 もしチエミが元気だったら、直接尋ねてみたい。なぜ、あなたは幼いときからたくましかったの?と。

 「だって戦争に負けて、なにもかもがゼロになってしまったでしょ。おとなに代わって働かなくてはならなかったんだもの」

 そんな彼女の返事が聞こえて来るような気がする。

 このアルバムについて、音楽的なことで少しばかりつけ加えておきたい。

 ジャズ・アルバムを名乗っていながら、「テネシー・ワルツ」「家へおいでよ」など当時流行したポピュラー・ソングが入っているのはなぜ?「セントルイス・ブルース」がラテン・リズムの編曲になっているのも解せない―そう首を傾げる純粋ジャズ・ファンもいるかもしれないので。

 あの頃は洋楽はなにもかも引っくるめてジャズと呼んでいたのですよ。社会そのものの混沌を象徴するかのように、音楽の世界もカオス状態だったからです。


http://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICJ-629/



「30thアニバーサリー」パンフレットです。
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