読売新聞(2月14日付け朝刊、文化面)に<ホイットニー・ヒューストン追悼>を寄稿しました。以下にその全文を転載します。


 グラミー賞授賞式の関連パーティーに出席する予定でビバリーヒルズのホテルに泊まり、突然死するとは、、、、、。映画「ボディガード」でホイットニー・ヒューストンが演じたのが、アカデミー賞候補のスターで、その主な場面がホテルと授賞式会場だったことを思い浮かべると、その奇妙な符合に暗然となる。

 彼女はまれに見る、のどの強い歌手だった。頭蓋骨にぶつけるように歌う高音域の際立っていたこと。
 母シシーはゴスペルで鳴らした歌手だから、日曜日の教会で歌うのは生活の一部だった。
グラミー賞歌手ディオンヌ・ワーウィックとはいとこ同士。

 1963年生まれで、85年に初アルバムを出した。彼女を発掘した、アリスタレコード社長(当時)で名伯楽のクライヴ・デイヴィスは、いっぺんで「自然で無垢、天賦の才の持ち主」と惚れ込んだという。

 デビュー当時の彼女は、ディスコ全盛の風潮に反発し、「クラブは踊るだけの場所になった。歌わせてくれるんだったら、スタンダード曲、ダンス・ソングなんだってかまわない」と語っている。持ち前の強靭なのど、それを武器にしたたかな歌唱力、歌詞の明晰な伝達力あってこそのこの自負を、ずっと持ち続けていたと思われる。

 その自信を証明するかのように、目の覚めるような快進撃が始まる。初アルバム収録の「すべてをあなたに」を手始めに、「恋は手さぐり」「恋のアドバイス」と、全米シングル・チャート連続7曲首位となったほか、数々の記録保持者である。

 80年代末、ニューヨークのとある百貨店に入ると、<ブラック・イズ・ビューティフル>と銘打ったファッション・ショーをやっていた。そういえばホイットニーもナオミ・キャンベルも、ほぼ同時代を駈け抜けたブラック・ビューティーだった。

 振り返れば92年の「ボディガード」公開時が絶頂期だったのかもしれない。映画は大ヒット、サントラ盤は全世界累計で4000万枚以上売れた。

 この10年余りは、薬物やアルコール依存症との闘いだったようだ。なぜ栄光を極めたスターに限って悪癖に染まるのだろう。それだけ名声と引き換えに、不安や苦悩を抱えているのだろうか。

 歌手は歌手である。本来、凝った衣装、ダンス、人生観のPRは必要ない。ホイットニーは、歌だけで勝負できる数少ない歌手の一人だったのかもしれない。

 享年48。この褐色のダイヤモンドには、もっと長く輝き続けて欲しかった。



レコード棚をさがしたら、デビュー・アルバム日本盤のLPが出て来ました。
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