ホイットニー・ヒューストンの日本での人気沸騰には、1992年公開の映画『ボディガード』が強力なの挺の役割を果たした。タイトル・ロールからしてボディガード役のケヴィン・コストナーがメインなのに、守ってもらうほうの歌手兼女優役のホイットニー・ヒューストンのほうが、なぜか話題を集めたようだ。

 彼女のスレンダーな肢体、そこからかもし出される色気(押しつけがましくないのがよかった)に誰もがイカれてしまったせいか。私も例外ではなく、この映画のお蔭で彼女との距離がぐっと近くなったように錯覚したものだ。

 彼女の突然死を知って、私が最初にしたことは『ボディガード』を見直したことだった。スターとボディガードとの間の微妙な感情の揺れ(反発、嫌悪から好意、愛情へ)が、絶妙とはいわないが、無理なく描かれていると思って、それなりの満足感を味わうことができた。

 クライマックスのオスカー授賞式のサスペンスなんて、演出もなかなか巧みじゃないのと思ったくらいだ。ラストの空港での別れのシーン(ホイットニーが飛び立とうとする飛行機を止めさせ、グラウンドでケヴィンと抱擁するあたり)は、ちょっと安っぽかったけれど。

 あそこで主題曲をこれでもかとかぶせるあたりは、まさに商魂丸出しですな。

 ホイットニーの突然の死を目の当たりにしながら、こんな偉そうなことがいえるのも、やはり20年前の作品で客観的に見ていられるからか。

 ところで、公開時、どんな評価がこの映画に与えられたのか。大御所双葉十三郎先生の『ぼくの採点表Ⅴ1990年代』(キネマ旬報社)に当たってみる。

 ベストが五つ星なのだが三つ星しかついていない。つまり60点。

 「ミック・ジャクソンの演出も人物の捌き方がうまくないうえに小刻みの映像編集で具体的なサスペンスの盛り上がりを阻害したところが多く、クライマックスなどは人数の多い会場の整理が行届かず、射ち合いまでの緊迫感が盛り上がってこない。」
 とかなり辛口である。

 そして最後は捨てぜりふのように、
 「題名通り彼女のボディをよろしくガードするお話でした」

 nice bodyだけでは第一級映画評論家の目はごまかせなかった、、、、。

(2月14日付け読売新聞朝刊にホイットニー・ヒューストンへの追悼文を執筆しました。その文章はあす当ブログにも転載いたします。)



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