きのうに引き続き、日劇と日劇ダンシング・チーム(NDT)の話題を。

 NDTの踊り子からスター夫人の座に上り詰めた人で、私がすぐに思い出すのは、フランキー堺夫人の谷さゆり、石原裕次郎夫人の荒井まき子である。

 荒井まき子は、のちの映画女優北原三枝。北原が、日活映画『狂った果実』で裕次郎の相手役をつとめて恋に落ち、結婚に至るエピソードは、あまりにも有名だが、その前に日劇のステージに立っていたことは、昨今、知る人は少なくなったかもしれない。

 NDT在籍は1949~52年と短かった。

 谷さゆりとフランキー堺は日劇のステージで出会った。生前フランキー自身が私に語っているのだから間違いない。

 当時、フランキーは慶応法科に通学しながら人気ジャズ・オーケストラ、多忠修とゲイ・スターズの人気ドラマーでもあった。この楽団の一員をしてジャズ・ショウに出演したときが、ふたりのなれ染めだった。

 「ディージー・ガレスピの『マンティカ』という有名な曲があるんだが、その曲をやるときに六つ置いたティンパニーをぐるぐる回りながら叩いたりしてさ」

 両腕にフリルのついたえらく派手な衣装だったらしい。

 そんな彼を舞台袖でじっと見詰め、恋心を抱いたのは彼女のほうと、フランキー自身は云いた気だったが、真相は不明である。

 私の手元にある「日劇レビュー史/日劇ダンシングチーム栄光の50年」(橋本与志夫著、三一書房刊)によると、フランキー堺が出演したこのショウは、『四つの楽団』という題名で、1950年1月28~31日の上演とある。

 たった4日間の公演のうちになにかがふたりの間に芽生えたのだろう。

 ところで、この「日劇レビュー史」は、戦前・戦中・戦後の日劇の全ステージを細かく記録した貴重な文献です。

 橋本さんはレヴュウ評論の第一人者で、兵隊に引っ張られた間を除き、日劇に淫した人である。この本には自分の目で見たことがくわしく記されている。

 橋本さんみたいに好きなことを好きなだけやる人は、今の芸能界には捜してもいるはずもない




北原三枝。
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橋本与志夫氏の貴重な記録です。
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