この映画のなかで炸裂するパワーは、暴力的、いや暴力そのものである。次々に襲いかかって来る迫力あふれる画面に、つい恐れおののいてしまう。

 その暴力の発信元は、もちろん脚本・監督の園子温その人である。

 渋谷円山町で起きた東電OL殺人事件に触発され園の脚本は、事件そのものからいい意味で大きく逸脱し、終始、きわめて独自な物語を紡いでいく。私たちはそのダイナミックなうねりに身をまかすしかない。

 脚本のダイナミズムを120パーセント生かした切れのいい、テンポのある、かつ力づくの演出は、遙か職人芸を超えている。

 3人の女性がすべての物語をとり仕切る。殺人課の刑事で、平穏な家庭生活がありながら浮気に精出す吉田和子(水野美紀)、38歳。

 売れっ子小説家の妻で、満ち足りた、しかし空虚な日常に飽き足りない菊地いづみ(神楽坂恵)、29歳。

 表の顔は超一流大学日本文学科助教授。裏の顔は街角の立ちん棒売春婦尾沢美津子(冨樫真)、39歳。

 三人の女優たちの迫真的ベッドシーンはただ息を呑むのみ。

 私は、幸か不幸かAVもポルノもロマンポルノも知らないが、映画『恋の罪』はそれらとはまったく別物にちがいない。

 『恋の罪』は、性とは何か、とくに女性の性とは何かを問い正し議論するための叩き台となる作品である。一種哲学的命題を背負った作品といえるかもしれない。

 それだけに、この映画についてはとくに女性の批評を読みたいと思う。

 一例を挙げる。新藤純子さんの批評(キネマ旬報11月下旬号)。表題からして“男の言葉と理屈、そのむなしい空回り”。そして次のように切り捨てる。

 「彼女たちの設定が、映画やドラマやコミックで何度も使われた、手垢のついたもの」「女性認識の古さと見当違いが致命的な欠陥」等々、、、、。

 女性からの視線でこの映画を積極的に評価する批評を読んでみたい。

 『恋の罪』では性の内奥に迫るに当たって、田村隆一の詩「帰途」、カフカの小説「城」などが、しばしば引用される。文学的引用が一種の気のきいたスパイスになればいいのだけれど、そううまく作用しているとはいいがたい。

 全篇がミステリー仕立てのせいもあって、見ながら私は江戸川乱歩の世界を連想せずにいられなかった。

 総じて音楽が画面にべったりと張り付き過ぎる。とくにマーラー「交響曲」第5番は、ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』を連想せざるを得ず、かなり困った。

 助演賞ものは大学助教授の母親役、大方斐紗子である。気位ばかり高い、エリート臭ふんぶんたる良家未亡人を見事カリカチュアライズした怪演ぶりに目を見張らされる。

 批判したい個所もあるが、一見に値する力作である。



『恋の罪』144分、配給・日活株式会社
テアトル新宿 ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国公開中
http://www.koi-tumi.com/index.html


和子(水野美紀)は、幸福な家庭に安住していられない。
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美津子(冨樫真・左)は、いづみ(神楽坂恵)を底無しの悪の道に誘い込む。
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