きのうに引き続き、野口久光さんの映画ポスターをめぐるエピソードを。

 ヌーヴェル・ヴァーグの雄フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』が公開されたときも、ポスターを描いてデザインしたのは、キュウコウさんだった。1960年のこと。

 なにかをじっと見詰めている少年の眼にかすかに愁いがある。ちょっと横目。立てたセーターの襟の縦じわ、背景に映る少年の影など繊細のひとことに尽きる。

 「判ってくれない」の「判」だけが赤なのもうまい。

 トリュフォー監督は、この絵柄を痛く気に入り、原画をもらい受け、パリのオフィスに飾っていたという。

 のちに『二十歳の恋』(1962)を撮ったとき、このポスターが壁に飾られている場面を入れたほどだ。

 ベッドの上で喰え煙草の若者(ジャン=ピエール・レォー)がいて、その彼のうしろの壁にこのポスターが貼ってあるのだ。

 『大人は判ってくれない』(多分にトリュフォーの分身)と『二十歳の恋』とふたりの主人公の間には、なにか繋がりがあるという暗示だろうか?

 キュウコウさん、嬉しかったろうな。

 それにしても昨今の映画界では、こういう“美しい”話はお目に掛りたくてもお目に掛かれない。時代が変わったことを痛切に感じる。


http://matome.naver.jp/odai/2125957165385579700
(Naverまとめより)

『大人は判ってくれない』のポスター、
画集『野口久光シネマ・グラフィックス』の表紙に使われている。
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