中村とうようさんが自死したのは、7月21日のこと。ミュージック・マガジン9月号に音楽評論仲間の湯川れい子さんが、心に染みる追悼文を寄せている。そのなかで次のようなくだりがとりわけ興味深い。
 1982年、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』発売時、とうようさんは、「黒人のもっともダラクし果てた姿を見せつけられた気がする。いまの黒人音楽をぼくがキライなのは、こういう手合いがエバっているから。」と零点をつけた。
 それに対し、れい子さんは「マイケルは黒人音楽に深い敬意を払いながら、黒人音楽が失いつつあるフィジカルな力、踊ることの重要さにあえて視点を置いて、アメリカ音楽の主導権を握ろうとしているのよ。」と面と向かって反論した。
 すると、とうようさんは「少し頬を染めて『うーん、そうかあ。それじゃ今度れい子さん、ぼくにレクチャーしてよ』」と答えたそうだ。
 再にれい子さんはこうも書く。
 「これ、双方とも先行シングルはヒットしていたけれど、共にアルバムが大ヒットする以前の会話だったことを考えると、お互いに大したものだったなあ、と思うのだ。つまりそれだけ、時代にもエネルギーがあったということだと思う。」
 音楽は聞くだけでなく論じるべきものである。とくに専門家の間では―。近ごろはふたりの間で交されたようなやりとりはとんと目にも耳にもしなくなった。淋しいことである。


湯川れい子さんの「追悼・中村とうよう」に
掲載されたミュージック・マガジン9月号

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『スリラー』PV You Tube より: