田中喜男『金沢の伝統文化』(朝鮮研究-175) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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Ⅲ章が「百万石の美術工芸」となっている。その中の「藩営工芸所と百工照」の中身を具に調べて行くと朝鮮名を見つけ出すことは簡単だ。『石川県史』のなかの日置謙が書いてる部分は引用している。日置謙が調べた加賀の細工所に関わる部分、李氏朝鮮との関わる部分は省略している。李氏朝鮮の伝統文化が加賀の伝統文化を育てるのだが、田中喜男の『金沢の伝統文化』を読む限り、金沢の伝統の上に外来、特に京都から導入された文化芸術が植え込まれて行った、かのように描写されている。九谷焼など李氏朝鮮から陶工を「拉致」してこない限り、存在し得なかったのだ。金沢の伝統文化の多くが秀吉の朝鮮出兵の「成果」みたいな処があって叙述し辛い。むろん、根こそぎに近い形で朝鮮から今で言えば芸術家を招いた上の金沢の伝統文化であった。むろんを重ねると、日本に招いたから育ったとも言える。

李氏朝鮮での工人の社会的地位は低いが、日本では高い。日本は朝鮮の工人を高く評価し、厚遇したことが独特の金沢の伝統文化を構成した。

その「構成」した部分は良く描写している。