世界科学者連盟に繋がる日本科学者会議の機関誌である。工業技術院傘下の研究所には、各研究所に数十名の会員がいた。農水省の場合は工業技術院より会員が多いと指摘されていた。
その機関誌である『日本科学者』誌の1986年8月号を開いてから後藤田正晴官房長官は、茨城県知事に電話を入れたと推察されている。
「竹内君、電総研の岡田安正を知っているか」
「知りませんが」
「SDI研究というか、わが国が米国と共同研究してソ連に対峙している研究へいちゃもんを着けているが、電総研と言えば筑波にあるだろ」
「確か、桜村に」
「谷田部町と合併させようとしている桜村かね」
「合併は近く予定される町長選挙で・・・」
「桜村と合併させて美濃部型の市長をつくるつもりかね・・・」
『日本の科学者』誌8月号には岡田安正の「日本のSDI協力とその欺瞞性」という論文が記載されていた。
中曽根内閣が米国とのSDIの共同研究を決定したには9月9日であった。谷田部町長選挙直前であった。桜村との合併なら考えると竹内藤男県知事に応えていた横田美農夫助役の梯子が外された一瞬である。