打倒横田に燃えた二つの勢力(つくば市政展望-363) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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島名六軒党の一員であることを誇りとするも、長屋門は構えていない。長屋門という徳川三百年を象徴するのではなく、島名の台地に新たに開発に入った家系の象徴の六軒党であった。島名の台地は平将門の時代に栄えていた。だが、平将門が滅びてから打ち捨てられていた。そこに戦国末期、六軒党が入植したと見られる。島名の台地の北方に続く森林地帯は、徳川政権下に幾たびも開発が試みられている。その開発の歴史の止めがつくばエクスプレスの建設であった。木村操候補の第一の目標は横田美農夫打倒となるのは徳川300年、我々はあの水堀の長屋門の風下にて呻吟させられてきた、という思いの反発であった。

もう一つの打倒に燃えた勢力は松代住宅であった。小野川源流地帯の松林を切り拓いて建設された松代公務員住宅住民は、その生活を不便さ一杯でくらしていた。昨日までの快適な東京都市生活から、不便な谷田部町の辺地に抛り捨てられた、という思いが労働運動を熱くしていた。松代住宅は通産省系と農水省系研究公務員住宅とも言えた。農水省系労組から学研労協議長、通産省系から事務局長を出していた。松代公務員住宅の不満の行き先は政府であり、自民党政権であった。その自民党政権を支える谷田部町のグループが長屋門層であった。横田美農夫助役は当にその象徴であった。

土建業者とつるんで赤坂で飲食する横田美農夫助役を、次の町長にするなど到底に許せなかったのだ。横田美農夫候補が最下位に沈んだ町長選挙を勝利だと、労組は機関紙で流している。