山口武平(つくば市政展望-317) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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大正10年5月19日、今の坂東市にて誕生する。昭和10年4月に水海道中学校に入学する。昭和19年3月に秋田鉱山専門学校を卒業し、日立製作所へ入社する。日立製作所では高射砲の砲身を作る現場責任者であった。

戦局が緊迫する中で海軍予備学生に志願し、相模野海軍航空隊で教育を受け、予備少尉に任官する。「整備将校」であった。

厚木航空隊に配置される。山口少尉の担当は夜間戦闘機の「月光」であった。敗戦直後の首都防衛の第一線に山口武平少尉はいた。

厚木航空隊の指令は小園安名大佐であった。有名な厚木航空隊反乱の首謀者である。飛行機の整備将校としてその反乱を支えている。だが、山口武平は生涯、その反乱事件に就いて口を閉ざしている。だが、山口武平少尉は小園安名大佐と繋がりがあったため、戦後ずーっとある種というか、ある筋の監視対象となる。

竹内藤男県知事にしてから、悪名高いフリージャーナリストに手当を出して監視させている。山口武平県議は政治家として幾たびか頓挫している。その背景は厚木航空隊反乱に与した為だと言われる。小園安名大佐の晩年も厳しいものがあった。

用心深く、郷土の英雄の平将門を思いつつ、水海道中学校の校歌をばねに政治活動を行っている。故に、学校の後輩の横田美農夫助役が町長選挙に立候補するや出陣式に顔を出す一方、県知事の顔を見ている。