冷戦構造(つくば市政展望-310) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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86年の谷田部町長選挙は島名台地での長屋門を倒さんとする自作農の木村操候補の奮闘が目立った。台頭する新興勢力らしく島名の小作農出身の石浜代貸をフルに使って打ちまくった。いや、ブチ捲った。資金は潤沢であった。アカにピンクも駄目だ。シロイ木村操候補しか支持しないという竹内藤男県知事の胸の内は、谷田部町をソ連の手先、世界科学者連盟の掌中に収めさせるわけには行かなかった。内務官僚としての胸中は谷田部町のアカとピンクに怒っていた。何であの長屋門の横田美農夫の奴、ソ連の手先が跳梁跋扈している電総研の奴と仲良くしているんだ。あの電総研の研究者はアカイだろう。

竹内藤男県知事は御庭番を谷田部町に派遣する。竹内藤男県知事の命は長屋門派の某町議へ、横田美農夫助役は何故に電総研の赤い奴と親しいのだろうか?という問いと成って届く。

その竹内藤男県知事の問いを耳にして、高野水道工事はこれはやばい、野村文雄候補を擁立した失敗を悟る。だが、そこで高野水道工事は野村文雄候補の擁立を辞めれば良かった。だが、島名の名門の高谷家から嫁を貰っている手前、あの下衆の石浜代貸に科学万博パビリオン廃材処理を任せた横田美農夫助役が許せなかった。あの仕事は、島名の長屋門家から嫁を貰っている俺に配慮すべきだろう。横田美農夫助役だけは許せない、松代の公務員住宅票を取らせてなるものか、と怪文書作成に掛る。

その瞬間、横田美農夫助役も高野水道工事も島名の台地を取り巻く冷戦構造から浮いていた。野村文雄候補は充分に冷戦を意識していた。それは公約にも表現されていた。野村文雄候補の平和な谷田部町を築くという公約は、学研労協の茅野徳治事務局長の意を受けるものであった。

つまり、86年秋に高野水道工事の政治的動きはSDI研究反対というソ連側に立つ姿勢の表明となっていたのだ。

そこが横田美農夫助役には見えていなかった。