大事業には人柱が(つくば市政展望-277) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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最期の谷田部町長選は1986年秋、木村操町長が誕生して1年後の1987年11月末にはつくば市が誕生する。その間は一年、たったと一年であった。竹内藤男県知事の辣腕ぶりが中央から光って見える。

21世紀は茨城県のリードする、日本は茨城県が先頭を切る、と高らかに竹内藤男県知事は90年代になると宣言する。

昭和大帝の耳につくば市誕生をご報告できました。臣竹内の心情は無上の高揚感に満ちた。

あれ程にスムースに合併が出来るとは、少しごねた筑波町のあの学者町長も何に怯えたか、合併に乗ってくる。井坂敦美はピンクだと思っていたが、赤カブ大根同様に中身は白かったのである。

やはり、谷田部町の沼尻民平町長を1985年12月5日に逮捕、させたと指摘されているがあれで一気に進んだ。

国が大型投資を行い、その結果投資を受けた地域が大型の合併をするなどあり得ただろうか。内務省も統治に苦労した茨城県で、一年足らずで合併に追い込めたのは、1985年12月5日の沼尻民平町長を逮捕できたからだ。アカなら公安事例で対応できる。だがピンクは難治の元なのだ。

竹内藤男県知事の心情は目的の為には手段を択ばずであったろうか?特に島名の長屋門層に連なる町議宅の長塀に銃弾を撃ち込んだ意義を、誰が理解できたのだろう。あれは島名の上層部の動きを封じ、中下層からの上昇を促した。木村操町長ならば天狗党への歴史を語ることは無かろうという安心感であった。

島名の長屋門層は天狗党を支えた誇りを教示している。俺を水戸で天狗党を弾圧した藩中枢の流れだと見られてはこまる。横田美農夫助役にはその気がある。木村操町長には全くない。感じられなかった。

竹内藤男県知事の『21世紀は茨城の時代』は見事な出来栄えであった。そこからつくば市誕生の経緯が見えてくる。やはり、沼尻民平町長は人柱であったのだ。