赤カブを一皮むけばシロイ(つくば市政展望-272) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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竹内藤男県知事の命名した「つくば市」誕生の翌年、昭和63年1月10日につくば市長選挙は告示される。何でも土浦中学校の同級生であった塚本育造県議と桜村の倉田弘村長の一騎打ちと目された市長選挙が始まる。

谷田部町の木村操町長は立候補しなかった。町長選挙で当選したものの辛勝であった。高野水道工事が中村喜四郎代議士支持の町民を野村文雄候補へ引っ張って行ったと読んでいた。旧渡辺派を取り込んで辛うじて勝てたが、高野水道工事は従来の木村操支持の町民を野村文雄候補支持へ引っ張ったとみた。谷田部町の保守反主流が中村喜四郎代議士支持層であり、それは木村操支持層とダブっていた。だから、高野水道工事は中村喜四郎代議士を町長選挙で野村文雄候補支援に駆り出せれば勝てると読んだのだ。野村文雄候補はアカイと指摘されても、赤カブは皮をむけばシロイだろう。野村君はアカク無い、心配するなと説得していた。

本当に危なかったのだ。だから、高野水道工事を警戒して先ずは倉田弘村長を押した。倉田弘市長誕生の暁はたっぷりと高野水道工事を干す腹積もりであった。

むろん、高野水道工事も第一回市長選挙で野村文雄候補を擁立して市長選挙に挑む腹だった。今度こそ中村喜四郎代議士の支援を確保し、学研労協の票を足せば楽勝だと踏んでいた。

だが、政党間にまたがる候補者擁立では、中央レベルでの話し合いが欠かせない、という肝心な政党間の交渉を欠いての擁立工作であった。

高野水道工事には自信があった。松代に乗り込み、学研労協の茅野徳治事務局長に「野村君は公務員を辞めて町長選へ出馬したでしょう。学研労協の側に公務員を辞めて立候補する人物がいない場合、ここは野村文雄君を学研労協で推してください。推すべきでしょう」と迫った。

茅野徳治事務局長は、谷田部町長選の末期に中村喜四郎代議士が応援に出てくる話を耳にしていた。

茅野徳治事務局長の立場として、赤カブでは困る話であった。一皮剥くとシロクなる。選挙が終われば自民党では困る、立場がなくなるのである。