筑波町民の失ったモノ(つくば市政展望-262) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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強面の竹内藤男県知事。ビューブリテン島に立て籠もった今村均大将旗下の10万の将兵から餓死者を出さなかったのは、俺(竹内藤男陸軍主計中尉)がサツマイモ栽培を主導したからだ。俺がニューブリテン島の18軍にいたから、米軍の上陸を阻止できたのだ。現今の茨城県のサツマイモ栽培が日本一なのは俺が県知事だからだ。竹内藤男県知事の鼻息は荒い。

4町村合併で1992年11月に「つくば市」を発足させたに関わらず、市名とまぎらわしい筑波町を維持して行くのかね?と、その竹内藤男県知事は恫喝的に凄む。竹内藤男県知事の凄む言葉は間接的に井坂敦美町長に伝わる。井坂敦美町長は学者である。竹内藤男県知事は「井坂はアカイのかね?」と言っていると伝わってくるだけで、自身の学問に色が付けられている気持ちになる。早く、この事態から、共産党町議と一体の合併反対から抜け出さないと、国際共産主義運動の指導を受けている学者、アカイ学者だと言われかねない。井坂敦美町長は町方針を180度展開させる。

余りにも早い筑波町の失ったモノは何か?何だろうか?それは過疎化であり、幾つかの小学校、中学校の閉鎖であっただけではなかった。

筑波山登山に欠かせなかった土浦からの筑波電鉄が閉鎖された後を県に考えさせる期を失わせた。少なくとも、つくばエクスプレス線は筑波山へ延ばさせる、旧筑波町を終点とさせるべきであった。

中央沿線の高尾山は押すな押すなの登山客で賑わっている。つくばエクスプレス線の終点が筑波山神社参道入り口に造られていたならば、今頃、筑波山は押すな押すなであったろうに。