正義は俺にあり(つくば市政展望-240) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

安部南牛 | 朝鮮文化資料室

安部南牛が、朝鮮関係の本の書評を中心に掲載していくブログです。

逮捕後に弁護士を選定する。横田美農夫助役は穏健な手法を考える。手打ちである。土浦の弁護士を頼む。この地域のゴタゴタに通じ、落としどころの分かる弁護士に依頼する。落としどころとは、親の監督責任というか、息子への注意を喚起することを怠ったとしての責任は取る、であった。贈収賄事件への関与は否定しつつ、息子が石浜代貸と組んだ贈収賄事件へ親の責任を取る。自民党の親分衆の責任の取り方に通じる手法であった。息子を秘書と同様に扱おうとしたのである。

ところが自治労の野村文雄氏が学生運動の仲間の闘士を弁護士として連れてくる。むろん、地元の事情に疎い。学生運動上がりの闘士のありがちな権力犯罪に対する抵抗感が強い。直ちにこれは単純に谷田部町内の利権争いではない、と嗅ぎ分ける。

石浜代貸の背後に巨大権力が蠢いている。これは全くの冤罪だと決めつける。無罪だ、戦うべきだと強く主張する。

被告にされている沼尻民平町長は元より「俺は関知していない。無罪だ」と、権力犯罪と戦う正義の弁護士に同調する。「正義は俺にあり」、運転手如きが、俺を嵌めやがって、となる。

東京から来た若い弁護士は権力犯罪の匂いを嗅いだが、そういう一面はあったにしてもやり過ぎであった。煽り過ぎであった。

竹内藤男県知事サイドは、谷田部町をゆすぶって町村合併の芽を育てかったのだ。それに学研労協を前面に立てた日本共産党の拡大戦略は谷田部町で盛んになっている。これはほって置けない。竹内藤男県知事の胸は赤退治に燃えて行ったのである。

土浦の温厚な弁護士の手打ちの戦略は吹っ飛び、全面対決へ局面が動いた。