ロヒンギャの帰還と蕎麦屋の出前&春が行く② | Life is tough but beautiful

Life is tough but beautiful

ちょっと気ままに、風まかせ!

気ままに思ったことを書いていきます。

昨年来、このブログで、何度かミャンマーのロヒンギャ難民のことを書きました。

そのうちのひとつ
2018年2月20日【ロヒンギャ女性への暴力】

https://ameblo.jp/abcz1235/entry-12354435552.html

 

 

先日、ロヒンギャの帰還についてのニュースがありましたが、、、

まさに、、、です。

スルーする方は、引用終わりまで。

 

ミャンマー、ロヒンギャ難民5人が帰還 合意後初 

2018・4・15  12:55 日経電子版

【ヤンゴン=新田裕一】

”ミャンマー政府は14日、

隣国バングラデシュに逃れていたイスラム系少数民族ロヒンギャの家族5人が帰還したと発表した。

 

政府はバングラ当局と早期の帰還開始で合意していたが、帰還が実現したのは初めて。

 

ただ多くの難民は即時の国籍認定などを求めており、帰還に向けて動き出すかは不透明だ。

 

政府の発表によると、

帰還した家族5人は14日朝、国境付近に設けられた難民受け入れ施設で身元確認の審査を受け、入境した。

政府はコメや毛布などの支援物資を与えた。

 

国籍については「地元当局が法に基づいて審査中」としている。

現在は、一時的に親類の家に身を寄せている。

 

 ミャンマー、バングラデシュ両政府は18年1月までに帰還を開始することで合意したが、政府間の手続きなどで遅れていた。

 

帰還難民の受け入れには、ミャンマー政府としてロヒンギャを国境外に追い出す意図を否定する狙いがある。

 ただ2017年8月以降、

 

ロヒンギャ武装集団に対するミャンマー治安部隊の掃討作戦でバングラデシュに逃れた難民は67万人に達する。

 

多数の村が放火され、難民は治安部隊による集団殺害や性的暴行を訴えている。

 

政府や国民の多数派はロヒンギャを自国の民族として認めていない。

 

ミャンマー政府で難民帰還問題を担当するウィン・ミャ・エー社会福祉・救済復興相は11日、

 

難民キャンプを初めて訪問し、ロヒンギャ難民の代表者と面会した。

 

バングラデシュの通信社によると、難民側は国籍の完全な認定を求めて帰還の呼びかけを拒否。

 

周囲ではミャンマー政府を非難するデモ集会が開かれた。

 

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は13日の声明で、

 

「安全で尊厳のある帰還が可能な状況とはいえない」と指摘。難民が確実に元の居住地に戻れるようにUNHCRなどの関与を認めることなどを求めた。”

日経からの引用ここまで。

 
このニュースが、テレビで映し出された時に、儀式のように5人の家族が、帰国したことを記念撮影のように映しだされていた。
 
 
 
67万人のうちのたった5人の帰国を国際社会に知らしめていることに違和感を感じた。
 
 
 
それに昨年来、国際社会からの非難を受けて、ロヒンギャ帰還受け入れのために、焼き討ちされた村に住めない彼らの為に、
 
 
住宅建設の約束していた。
 
 
 
それなのに、この報道では、親類の家に身を寄せているとは。
 
 
 
政治はこのように、たった5人の帰還が全体であるかのように、ショウ化されるのだろうか?
 
 
 
昨年8月以来、67万人(一説には100万人)ともいわれるロヒンギャ難民の元いた村を焼き討ちしたのは、
 
 
 
反政府勢力でなく政府によるミャンマー治安部隊だと言われている。
 
 
 
その為に、ミャンマー西部のロヒンギャ民族は、国外に逃れたのだ。
 
 
 
ミャンマー政府は、この自国に長年住んでいるロヒンギャに、宗教の違い、民族の違いなどから、国籍を与えてこなかった。
 
 
 
そもそも、イスラム教のロヒンギャがここに住むようになったのは、
 
 
 
19世紀にイギリスがバングラデシュとミャンマーを植民地として支配した時に、
 
 
 
イギリスが、この植民地に異民族が対立する構図を作ろうとしたためだ。
 
 
 
殆どが仏教徒であるミャンマーの国の、その西部のラカイン州に、
 
 
 
バングラデシュのイスラム教徒であるロヒンギャ族を、労働者として、移住させたのだ。
 
 
 
イギリスは、アフリカでもやっていたように、異民族対立を意図的に作り出した。
 
 
 
占領地の人々の不満が、宗主国であるイギリスに向かわないよう民族対立を煽り立てたのだ。
 
 
 
それ故、軍政から民主化したその時に、ミャンマー政府は、ロヒンギャには国籍を与えなかったのだ。
 
 
 
しかし、現在のロヒンギャ族にとっては、ミャンマーがもはや、母国なのだから国籍を与えるべきなのだろうし、
 
 
 
なにより、戦後の軍事政権からアウン・サン・・スーチーを旗手として民主化し、当のアウン・サン・・スーチーはノーベル平和賞を受け取っている。
 
 
 
そのミャンマーでこのような民族浄化ともみられる国外追放や虐殺などが昨年起きた。
 
 
 
今回の5人にも、国籍は与えられていない。
 
 
 

帰還の条件として、民主化した国家なら、国籍を与えるのは当然すべきことである。

 

 

 

しかし、この帰還した5人はもとより、その後に続く帰還者にそれを与える見込みも立っていない。

 

 
 
以前、なかなか進まないロヒンギャ帰還のこの状況を”蕎麦屋の出前””のようだと書いた。
 
 
 
注文して、いつまで待っても来ないソバに催促の電話をしたら
 
 
今、お宅の分を作ってます」とか、
今、出ました」とか、言うのだが、
 
全然来ない。
未だ作っていないのだ。
 
 
 
今回の状況なら、天ぷらそばを頼んだ67万人分のうち、5人分のソバ(帰還)が来た。
 
 
しかし、天ぷら(国籍)はこない。
 
 
 
今、出漁して、エビを捕まえていますから待ってください。」とも、言わない。
 
 
天ぷらそばは、いつになったら来るのだろうか?
 
 
というわけで、何やらややこしい話で失礼しました。
 
 
近所といっても、でこぼこな土地の上がって、下がって、上がってのお家にも、春が行く
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は、晩春、明日は初夏か?
 
ほなね。