ただの白黒の火 -2ページ目

ただの白黒の火

口から出るのは半分
言葉にできるのは10分の1



夢の中のあたしは
わんわん泣きながら泣いていた。

手で涙を拭いながら。



3/11 東北大震災。
突如起きた多いな地震により、
津波が街を襲った。



夏に帰省するとともに
お母さんと一緒に高田を訪れた。
わたしが高校3年間過ごした街は、
今はもう跡形も無いただの焼け野原で
あるかのようだった。


下宿先は跡形もなく、
学校はえぐり取られるかのように
鉄筋や屋根だけが残り空っぽだった。

あの日地震雲だと騒いでいた高校三年の秋。
わたしは怖くなり、実家で被災道具を作るように親に訴え、大丈夫だから。と答えられた。それでも、しつこく言うあたしの通りにリュックへと詰め込んだ。
あたしも怖さの反面心ではきっとそんなはずがないと思っていたし、学校までは絶対にくるはずがないと確信していた。

実際にわたしが高校三年生の時の津波警報は、帰宅が出来ずみんな学校に留まり、お母さんが山道を車で走らせ迎えにきても帰れなかったが、何時間もすれば、何事もなかったかのようにみんな家へと帰りその日は思い出と化した。

部活の自主練で夜走ったあの道、
朝遅刻しそうで走った道、
自転車こいで通った道、
鮭が上ってくる川、
リプルまでの近道、
もう思い出すことでしか蘇らない街。

利美さんの厳しい練習は辛くて
嫌いでしかなかったけど、
優しくて笑顔が大好きだった。
社会を教えてくれた毛利先生。
一緒のクラスの友達。
友達の両親。

あとあと、情報が出回るようになり、わたしの周りでかかわる多くの人の命までもが、奪われたことも知った。

こんなことをいって良いのか、分からないけれど、おばあちゃんやお父さんお母さんが助かってることを連絡受けた時は、この上ない喜びと安心で、わたしは泣いた。すごく、すごく沢山泣いた。


今日見た夢を見て、わたしは地震後の自分や街並みを回想した。
友達のお母さんでとてもわたしも可愛がって貰ったお母さんで、だいすきだった。そんな方が、今日のわたしの夢では地震で津波で流された時のことを語っていた。
これが、わたしの頭が作り上げたお話であり、実際の話で無くてもわたしはひらすら夢の中で泣いていて、友達と友達のお母さんは再会していて、いつもの2人の姿だった。

多くが犠牲になったあの日。
何年経ってもこの事は語り告げ、何百年経ってもと忘れてはいけない。

今ある自分や家族をもっと大切に。
もっと精一杯に生きて成長しよう。



お母さんとお父さんの声が
今聞きたくてたまらないから、
電話に手を掛ける、、、。


iPhoneからの投稿