CD版の「BLACK LIST」「Q.E.D.」の発売も近いので本日から〝あの頃シリーズ〟ブログをスタートします。
中には文章を読むのが苦手、、、という方がいらっしゃるかもと思い、 拙いですが、私、菊池が「ブログ読み語り」にもチャレンジしてみました。
音と文どちらでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
読み語りはこちらから↓(YouTube)
文章はこちらから↓
出会い
「うちにJanne Da Arcってバンドがいるんだけど、菊池さん、ディレクターやらない?」
そう声をかけてくださったのがアップライズ(Janne Da Arc所属事務所)の社長でした。
社長とは僕がレコードメーカーで制作ディレクターをやっていたころの知り合いで、フリーになったのを聞きつけて連絡をしてくれたようです。
後日、事務所に伺い、社長からJanne Da Arcについてのレクチャーを受けました。
そのとき会議室に貼られたポスターで初めてJanne Da Arcのメンバーの顔を見たのですが、
第一印象が、
「え、ボーカル、不細工じゃね?」
でした(笑)。
正直、そこまで乗り気にはならなかったのですが、社長とのご縁を大事にしたかったので引き受けさせて頂くことに。
メンバーとの初顔合わせは、エイベックス本社ビルの並びにあった喫茶店。
集まった5人の若者のなかに不細工なヴォーカルを探したけど何故か見当たらない。
代わりに誰よりも先じて
「初めまして、ヴォーカルのyasuです」
と挨拶してくれた青年は、おすまし顔のアー写のイメージとは違って笑顔がキュートでキラキラとした魅力に溢れていました。
少し話しただけで地頭がいいことも伝わり、洞察と気配りも人並み外れてる。こりゃ、モテるわ、と。
不細工だなんて思ってごめんなさい、って感じでした。
こうして僕はJanne Da Arcの制作チームに参加することになりました。たぶん時期はSEED(Janne Da Arc 9枚目のシングル)が発売される前後だったかな。
嬉しかったのは、yasuは、スタジオで僕を見つけると必ず「菊池さーん」と満面の笑みで隣にチョコンと座って和ませてくれるんですよ。
既に出来上がったチームの中に放り込まれた僕に、孤独を感じさせまいとする配慮に助けられました。
でもその気配りは僕に対してだけでなく、どの現場でもyasuは所在無げにしてる人を見かけると、さりげなく近くに行って数分後にはその人を笑顔にさせちゃう。
yasuに会った人は皆んなyasuのことを好きになったし、もちろん僕もその一人だし、雑誌や放送局みたいなメディアの人の中にもそんなふうにyasuの虜になって「なんとしてもこの子を売ってあげたい!応援したい」って思ってくれる人も少なくありませんでした。
「スターっていうのは、近寄りがたいカリスマ性を纏った人がなるもんだと思っていたけど、こんなふうに出会った人を1人、また1人と味方につけながら、いつか大スターになる、そんな道もあるのかもしれないなー」
なんて、
yasuからはその可能性を感じたし、彼の存在はスターとはかくあるべきと凝り固まっていた僕に新しい価値観を与えてくれました。