【TEAM Acid Black Cherryより】


Project『Shangri-la』は、茨城県から東京都へ!
4th Seasonのライブとしては最終公演となるライブが昨日、東京都・NHKホールにて行なわれました!

東京でのワンマンライブは、2012年末に行なったLive“Erect”以来!
ありがたいことに、これまで東京ではアリーナクラスなどの大きな会場でのライブが多かったんですが、昨日は皆さんととっても近い距離でのライブとなりましたね。
実は、Acid Black Cherryはじめての東京でのホール公演だったんです!
今回は、東京初ホール公演にして4th Seasonのライブ最終公演、とてつもない一体感を見せていただいた東京都でのライブの模様をお届け致します。


恒例の“ご当地グルメ紹介コーナー”!!
日本全国から様々な食材が集まる東京。そんな東京の会場でyasuを待っていた東京グルメはこんな感じでした!


・鳥の照り焼き(これでごはん3杯はいけます!)
・グリーンサラダ(新鮮野菜のめぐみをありやぁす!)
・白身魚のフライ(あまりの美味しさに気持ちもフライ!)
・厚揚げのステーキ(もはや豆腐を越えている!ステーキや!)
・煮物(完璧な煮かげん!)
・大根と油揚げの味噌汁(身体に染み渡るこのぬくもり!)

LUNCHだけじゃなく、DINNERのメニューもすごかったんです!!



tokyoケータリング



ホントになんでも揃っちゃうのが東京のいいところ。
日本全国の美味しい食材が集まっているので、何を食べても美味しい!!
東京にいながら日本全国の物と触れ合えるなんて!!
日本中の皆さんの笑顔も浮かぶ、そんな幸せな瞬間でした。


東京で最高の食事をいただき、幸せ感ハンパないyasuさんとサポートメンバーの皆さん。
楽屋は、やっぱり楽しそうな笑顔。
この日は、音楽談義で盛り上がっていたようです。

メンバー:yasuって今はトップはどれくらいのキーまで出るの?
yasu:今はこれくらいかなぁ。
メンバー:昔はどうだったの?最初からそんなにキー高かった?
yasu:まさか。昔はもっと低かったよ。高いキーを出す為に必死やったもん。
メンバー:特訓というか、やり続けるってすごいよね。もしかしたら俺も頑張って高いキーで歌の練習してたら今ごろもっと高いキーが歌えてたのかなぁ?

などなど、やっぱりそこはミュージシャン。
一度音楽談義に花が咲くと、ずっと音楽の話をしてるんです。




tokyo楽屋





そして、いざ、東京の皆さんの待つステージへ!


「今日はProject『Shangri-la』4th Season~関東tour~ラストです!!しかもNHKホールですね。お集りいただきありがとうございます!僕、NHKホールで最後にライブをやらせていただいたのは2000年やったと思うんですよ。なので、実に14年ぶりのNHKホールですね。ありやぁすありやぁす♡ まぁテレビ(収録)なんかでは何回か来たことはあるんですけど、久しぶりのワンマンなので、楽屋の雰囲気とかもこんなんやったっけなぁ?って思いながら一日過ごしてました。やっぱりNHKは全体的に上品ですね。俺らが一番やってはいけない会場ではないかなって思います(笑)。今日はとても上品な会場なので、僕もありったけの誠意を込めて、思いっきり下品なライブにしてやろうかと思ってます!!行けるかい東京!?今日は最後まで思いっきり弾けて帰ってください!!」


東京の皆さんとも久しぶりに熱を交換しましたね!
とびっきりの音で攻めさせていただいきました!!
たくさんの街の皆さんと共有してきたABCのサウンド、いかがだったでしょうか。
上品な会場にも関わらず、淫らに激しく暴れまくってくださった東京の皆さんの一体感、本当にハンパなかったです!


一体となって盛り上がった東京公演。
「例え距離は遠くて離れていたとしても、皆さんと触れ合い、心は近く感じられるように」というyasuさんの想いがつまった“楽屋トークお届け!質問コーナー”へ。


この日も本当にたくさん質問をいただきましたが、その中から「学生時代にやっていた係を教えてください」というテーマを選ばせていただきました。


「ロックをやっている人はどんな少年だったんでしょうか?何かとあるとは思いますが、それを答えていただきつつ、ご挨拶をお願いします。さて、今日は誰から行こうかな」の「な」を言う前に、ドンっと鳴らして「最初は俺が行く」という男気を見せてくれたのは、淳士さん。
「早い!じゃあ淳士さんお願いします!!」と、この日が40本目のライブだというのにも関わらず、いまだに淳士さんの早さに驚くyasuさん(笑)。

東京も淳士さんのお話からスタートです!


小学生時代に、放送委員会に所属していたという淳士さん。
お昼休みにラジオみたいなことやったりとか、下校の時にそろそろ帰りなさいと放送したり、掃除の時間には掃除の音楽を流したりというのが主な内容だったそうです。
淳士さんの学校の放送委員は、給食を放送室で食べることが出来たそうで、放送室という隔離された個室で食べる給食っていうのが格別だったんですって。
そんな特権もあり、淳士さんの小学校では放送委員がめちゃくちゃ人気が高く、激戦だったんだとか。
クラスの9割くらいが立候補するくらい激戦で、くじ引きやじゃんけんで決めてたそうなんですが、淳士さんは見事2回ほど放送委員になれたそうなんです。
「今、放送委員をやったとしたら、ご飯も食べずにずっとしゃべってるよ」なんていう淳士さんらしいお話もしてくださいました。


お次は、同じく放送委員だったというHIROさん。
掃除の時間や下校の時間にレコードをかけながらしゃべるのが主な内容だったそうで、当時のHIROさんは滑舌よくハキハキとしゃべっていたそうなんです。
「「放送委員会からのお知らせでーす(※はきはきして張り切った口調)」みたいな感じじゃないんですか(笑)?」
と嬉しそうに言うyasuさんに、淳士さんから
「yasu馬鹿にしてんだろ(笑)?」とツッコまれる場面も(笑)。
HIROさんも放送委員を張り切ってやっていたそうで、給食の時間に“まんが日本むかしばなし”を朗読するという企画の時には抑揚を付けてしゃべっていたんだとか。
「どんぶらこぉ~どんぶらこぉ~」っていう感じで(笑)。
HIROさんの学校は、その朗読などの仕事をやってからじゃないと給食が食べられなかったそうで、きっちりと仕事を済ませてからひとりで給食を食べていたんですって。そうこうしていると、すぐにまた掃除の時間がやってきて、また放送委員として掃除の音楽を流す仕事が待っていたそうで、ずいぶんと忙しい日々を送っていたそうです。しかし、そこはやっぱりロックなHIROさん。掃除の開始時間を遅らせて、終了時間はそのままにして、掃除自体の時間を短くするってことをしていたらしく(笑)。「バレてめちゃくちゃ怒られた」なんて言ってましたが、HIROさんらしいエピソードですね。


続いては、小学校の時に体育委員長をやっていたというYUKIさん。
運動会の時、始まる前などに準備体操をする際に壇の上に上がって見本となるようにするのが職務内容だったんだとか。
「ラジオ体操って、人がやってるのを見ながらやってるとできるけど、一人でやろうとすると意外とできないんですよ。なので、運動会の1週間くらい前から朝6時からのラジオ体操を母親に指導されながらやっていた」なんていう、なんとも涙ぐましいエピソードをお話しくださいました。
その他にも、掃除を分担するために人に指示を出したり、朝校門の前に立って挨拶したりとかするのも職務内容だったそうで、人よりも早く登校してたんですって。
結構きつい内容だったせいか、この体育委員をやってからは係や委員にはなってないというYUKIさんでした。


そして、淳士さん・HIROさんと同じく、これまた放送委員だったというSHUSEさん。
SHUSEさんが覚えてる内容はというと、お昼休みの時間にYMOさんの「ライディーン」という曲をかけること。その曲をかけると、子ども達が運動場を駆け回るらしいんです。同じ学校の児童が走りまわるのを見て、「この曲流したら、子供らが走り回るんや!」とか思ってたって、ほんとにSHUSEさんらしいです(笑)。
他には、毎日何人かの落とし物が届いていたそうで、それを放送して取りに行かせたりしたんだとか。
放送委員以外にも、小学5・6年生の時は新聞部に所属していたそうで、模造紙に出来事を書くっていうのが主な仕事だったそうですが、それもほとんど女子がやってくれて、副部長を務めていたのに、単なる女子の言いなりだったというちょっぴり悲しくもあり、でもマスメディアに興味津々だったというSHUSEさんらしいお話でした。



yasuさんはというと、

「僕は小学校の時なんですけど、生徒会長をやってました。一個言い訳させてもらいたいんですけど、僕は行事とかに活発な子どもではなかったんですよ。
立候補制で、1クラスから生徒会長やら書記やらを立候補させて、全学年の前で演説するっていうのがあって、自分の仲いいグループの奴らが立候補したから、僕も合わせて手を挙げて。で、一人一人体育館で全生徒の前で「僕が生徒会長になった暁には」みたいな演説をするんです。今は(当時)何を言ったかまでは覚えてないですけど、とりあえずウケたら投票してくれるんで、みんなまじめにしゃべるだろうから、ちょっとそこはボケてツッコんでってやってたんです。その時は全然ウケてなかったんですが、選挙が終わったその日の夜に先生から電話がかかってきたんですよ。その時って、ドラゴンボールのアニメが始まったばっかりの頃で、それを見てたんですが、ちょうどオープニングの曲が流れた時にかかってきましてね。先生から「投票の結果、アンタが生徒会長になったから。すごいことやで!大役やで!」って言われたんですけど、ドラゴンボールを見たくてしょうがなくて、早く電話を切りたいって思ってた(笑)」


なんていうyasuさんらしいエピソードをお話ししてくださいました。


皆さんそれぞれ委員会に所属されたりしていたんですね。
しかし、Acid Black Cherryに関わる5人中3人が放送委員だなんて、音楽が流せるっていう理由からとか、皆さんやっぱり昔から音楽が好きだったんですね。
yasuさんも「一人でボケてツッコんで」なんて、MCでもよく見る光景は子どもの頃から培ってきたものだったんですね(笑)。
こんなお話、他ではなかなか聞けませんね!
貴重なお話でした。





未来ある小学6年生と共に「20+∞Century Boys」を歌い、その後「この青空の向こうに」でさらに一体となりたいなんて、東京の皆さんのとことん一体となりたい感じ。好きです♡






東京都とAcid Black Cherryのコラボレーション!
ABC×オビツキューピー「東京バージョン」は、これだ!!




tokyoQP




提灯!




Janne Da Arc公式モバイル では、Acid Black Cherry×ご当地オビツキューピーの待ち受け画像を配信しています!ぜひチェックしてみて下さいね!




Project『Shangri-la』。
続いては、明日東京で行なう触れ合いイベント「Shangri-la Meeting」です。
明日の「Shangri-la Meeting」は、13時から「ららぽーと豊洲シーサイドデッキ・メインステージ」で行ないます。
この会場はオープンスペースですので、たくさんの方と触れ合えたらと思います。
土曜日のお昼ですが、お時間があればぜひお越しいただければと思います。
東京の皆さん、ライブの後にもいっぱい触れ合いましょうね♡

それでは明日、「ららぽーと豊洲」でお会いしましょう!




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