「クリーン」とはなにを指すかによってクリーンであるか否かが問われることになる。


  狭義的低レベルの環境意識では、化石燃料が槍玉にあがり、結果、その他のエネルギーはクリーンとなってしまう。
しかし、二酸化炭素以外の大気汚染や、大気汚染だけでなく環境全体を考えるなら、原子力エネルギーは化石燃料など足元にも及ばないほどの破壊的な環境汚染の危険性を持っている。


なにがしかのエネルギーが「クリーン」であるか否かは?それをクリーンとしたい者によって、その者の利益を害さない思考によって「クリーン化」されてしまう。つまり、クリーンは実態的にクリーンであるか否かになるのではなく、「クリーンはクリーンとしたい者によってクリーンとなる。」ということである。

  環境破壊エネルギーは、本来、科学技術によってクリーン化するならともかくも、欲得意識によって、詭弁的にクリーン化されているのが現状でしょう。

 その際に用いられる思考トリックは、とあるエネルギーの時間的過程の上に起きる。


 エネルギーには、大きく分けて、エネルギー生産過程、エネルギー使用過程、エネルギー使用後過程の三つがある。


エネルギー生産過程でクリーン化できていない電気エネルギーは、使用過程のみに注目することでクリーン化することができる。
エネルギー使用過程でクリーン化出来ていない化石燃料は、その他の二つのエネルギー過程でクリーン化できる。
エネルギー使用後過程でクリーン化できない原発エネルギーは、他の過程を取り上げることでクリーン化できてしまう。


・・・というような思考トリックにより利害関係者の意識によってクリーン化されている。






人という意識存在・現存在は、太古の昔、組織化した時から、役割分担上、自立した行動を求められたことにより存在発生し始めた。その過程で、人の人格は属している組織の影響によって、その組織なりの人格が作られる。
このようなことにより、人は属している組織(集団)が複数ある場合には、その集団ごとの人格(キャラクター)を持つことになる。

人に、この仕組みがあることにより、ある組織(集団)が、そこに属している人に強力な影響を与えるような場合、そこに属している人には顕著な人格が作られる。

組織論においての組織は、二人でもあっても組織であり、家族も組織と考えることができる。その家族の中に強い個性を持った人間がいる場合、他の家族に、それなりの強い人格が現れる。

現代人は家族以外の組織にも属す。よって、他の組織にも適応することにより、格が別に作られる。

また、家族の中に時に応じて性格が顕著に変化する者がいる場合にも、他の家族には、それに対応するために別な人格が生まれることが考えられる。

現代のように、一人の人が様々な組織に関わっており、さらに、それらに強く順応しようとすればするほど人格を統合することは難しくなる。










欲望と分かる欲望には、大金がほしい、いい女と寝たい、高い車がほしい、などなど。


これに対して、欲望には見えない欲望には、仕事などが関係した欲望。


いい機材(車、情報機器)がほしい、大きな社屋がほしい、たくさんの有能な社員がほしい、美人秘書がほしい、たくさんの売り上げがほしいなどなど。


かの戦争の際に、日本を軍国主義まっしぐらに導いた軍隊も、じつはこのような正当に見える欲望によった。

現代においての例としては、NHK(日本放送協会)がこの「見えざる欲望」にある。 NHK関連事業は巨大化している。子会社として株式会社NHKエンタープライズに出資して、NHK局員はこの会社に天下る。


天下りに見えないのは、NHKが純然たる公共事業体ではないから。つまり、純然たる公共事業体でないことが、実は、見えざる欲望を可能せしめるためだったら?どうだろう。


欲望に見えざる欲望の恐ろしさ、えげつなさによって、多大な歪(ゆが)み歪(ひず)みが生まれ、結果、何百万人もの人々が悲惨な死をとげる。


科学も、実は、見えざる欲望の産物でもある。


見えざる欲望とは、その欲望が良いことであるという面の上に作られる。












カンダタだって、糸が蜘蛛の糸でなく、太い丈夫なロープだったら、下から登ってくる人たちに「こら!登ってくるな!」などとは言わなかったはず。


いや、カンダタじゃなくても、人間誰しもが、蜘蛛の糸のように細い生命線だったら、カンダタだったはず。


つまり、「蜘蛛の糸」は、人間の宿命の話なのだ。

-------


生物に限らず、知恵のある人間も、食糧の限界まで人口が増える。すなわち、人間にとって生命線(蜘蛛の糸)は、常に細いのだ。



「やらせ」が「ない」という意識は問題。


「やらせ」が常にあるのが当然なのに、あると「え~~~~~!信じられない!」と驚いている人間も、「サクラ」。

やらせ、どこにでも、いつでも、あるでしょう。

電力会社という法人も、その社員も、電力会社の下請けという法人も、日本の中の組織であり国民なのだから、その行為は認められるべきで、その認められる行為があるにも関わらず、「ない」という、トンチンカンで甘えた意識が問題のような気がする。

行政がシンポジュームを開けば、その中での意見を疑ったり、意見の数に影響を受けることが実に愚かだという思考・判断も、常識化する必要がある。




右翼、左翼、なんてくだらぬ思考。


右、左と一元的にしか考えられない者が右左にこだわり、自らを右翼とする。


右翼は決めつけ思考タイプであり、左翼は決めつけタイプからすると優柔不断に思える。

まず、決め付けタイプが、自らを右翼とすることから、右翼・左翼の区別の思考がはじまる。


左に対しての右なので、右独自には存在し難いため、右翼思考の者は左をやたらと見つけたがる。自己存在のために。


さて、右や左の一元的な方向性は、相互依存の関係なので、左が存在しなければ右も存在できない。

手や足の例では右と左とが共存して物を扱えたり、歩けたりする。
右だけ、あるいは左だけになれば、それは片手落ちとなり作業効率はゼロに近くなる。


すなわち右と左、1+1=2ではなく1+1=100でもあるということが、一元思考の人間には理解が出来ない。


この複雑怪奇な世界を、右と左とだけに分けて考えようなどと、語るにもおろかなのだが、とりあえず、ここに記しておこう。




世界(時空)は無限なのに、私たちは死んでしまう。

私たちは自己存在を知ったときに自己存在の消滅(死)を知ってしまったので、自己存在を感じたときに「死の受け入れ作業」を始めた。

---

死は世界との訣別でもあり、実は、自分との別れでもある。
そう、
死が世界や自分との訣別ならば、生は世界や自分との出会い。

消滅を知るのは存在を知るのと同時。
死が生を誕生させ、生が死を誕生させている。

---

私たちは意識(魂)に寿命がないことを知っている。
私たちは肉体(命)に寿命があることを知っている。
意識(魂)は肉体(命)に宿っている。

「寿命がない存在」が「寿命がある存在」に宿っているために、
寿命がないのに寿命に逆らえないという、とんでもないジレンマの中にいる。

これほどの悲劇があるだろうか?
これほどの残酷な知があるだろうか?
これほどの恐怖があるだろうか?

己の存在を知った私たちが、己の消滅を知っている。

私たちは、それを受け入れられないのかも。
受け入れる正当な理由を探し続ける。
それで生の時間を使い切る。


自分が善人だと思いこんでいたり、自分の意見は正しいと思い込んでいたりする人間ほど始末に悪い。


これに関して有名な文章がある。

真の自分を知ろうとして、自分を磨いている人ならば、この文章には感動を覚えているだろう。


その文章は「悪人礼賛」。(ネットで調べれば、すぐに出てくる文章)


そこにはこんなことが書いてある。


「善意と純情から出た行いが一番嫌いである。なぜなら善意から出たのだから なんでも許される、責任を取らなくてもいいという思い込みがあって始末が悪い」

私の意見を加えて言えば、

「悪人は悪を知っているだけに悪に限度があるが、善人の行い(思考)は反省も限度もなくなり、実に始末に悪い。」




特別講義

さてさて、赤字国債を持つ日本がなぜ国際的に信用がなくならないのか?
これと、日本の不況は、同じ根っこを持ちます。

日本の赤字国債の90%を日本の国民が持っています。すなわち日本の国民が余

剰所得を老後に備えてもっている貯蓄によって赤字国債が維持されているわけ

です。
あの世も金次第ですが、実は、あの世には三途の川の渡し賃、六文しか持って

いけません。すなわち、盗まれてはならじと、誰にも告げずに持っている貯蓄

は死後、銀行に預けっぱなし状態になるわけです。

日本の国債の多くは銀行を通して債務不履行が約束されているわけです。もち

ろん、証券会社から国債を買っても、その国債は証券会社に・・・。それにそ

れに、ファイナンス運用の一時預け金なども同様・・・。

つまり、こういった仕組みのなかで、お金の価値は落ちずにデフレが起き、不

況が続いているのです。なぜなら、インフレの兆しがあるだけで貯蓄はバカら

しくなりおろされてしまうからです。

今や銀行は所有者不在の預貯金が、どんどん増え安泰。なのでその所得者不在

の金銭で国債はさらに買われるので日本は安泰。よって日本の信用も安泰。

だが、日本国民は老後の蓄えという貯蓄の名の元に金品を銀行に吸い取られ、

生活は不況に喘(あえ)ぐ。

このような日本国が、銀行預金や証券会社への一時金を少なくする政策をする

と思えますか? そんなことをしたら、たちどころに日本は破綻。

破綻を起こす政策、すなわち預金を減らす政策とは何か?それは、社会福祉で

あり、老後の医療政策など、国民の将来の安心政策そのもの。あるいはインフ

レ政策でしょう。金利が安いのに貯蓄がなされているのは、それだけ老後に不

安や恐怖があるからです。

不正年金問題がそれに拍車をかけました。ガンの増加というプロパガンダしか

り、個人情報の名の下に銀行預金の不透明化などなどが、すべて貯蓄依存を保

持するためには都合のよいことというのは、いったいどういうことなのでしょ

うか。

この国は、国民をどんどん戦地に送り出したあの時代と、根っこはほとんどか

わっていないのです。日本国のために国民は犠牲になる。
北欧の社会は、この逆で、国は国民のためにあるです。
その国の消費税ははるかに高く、福祉が充実して、貯蓄志向がない。

-----


預金が下ろされるような社会経済環境になると、日本国や金融業界、証券業界、生命保険・損保業界などなどが、大損することになる。

では、預金が下ろされる状況とは? そう、インフレですね。お金の価値がどんどん下がる中で預金しているなど愚の骨頂となるわけですから。
つまり、インフレ、ある意味、インフレを伴う好景気は、都合が悪いどころか、死活問題になるわけですね。
ここにデフレが持続している根っこがある。

さらに、ある資産家の死後、その預貯金がおろされるのは相続のときだが、銀行は積極的に相続人を探しはしない。黙して語らず。ここに個人情報保護法なるものが障壁となっている。誰も積極的に個人情報を流さなくても良いという、先の利益者の利益を支える法律がある。

不正年金問題などや、年金不足などの問題は、庶民の不安を煽った。それは更に、貯蓄を確固なものとしたわけです。
実に、現利益者には、都合が良いことだったのです。

すべてが、輪を描いて、今日の不況を?支えている。
現利益者(現行政)=日本国所有者は、好景気などとんでもないわけです。
インフレなき好景気、そして不安ありの好景気があれば別ですが?そういう好景気はあるはずもない。

ところで、私が申し上げた、これらの話はすべて犯罪にたとえるなら状況証拠の羅列でしかありません。
が、輪が矛盾なく描かれていることをもって、何が起きているか?何が行われているか?は分かるはずです。
それを推測する能力がなければ、この国の実態、そして行く末は見えないでしょう。