マカロニ・ウエスタンの人気を決定付けたクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』が、日本で劇場公開されてから三年前の十二月二十五日で、ちょうど五十年になりました。それ以前にもイタリアでは、安っぽい西部劇が作られていましたが、とても世の中に出せる代物ではなかったようです。

 

マカロニ・ウエスタンについては、ネットを検索すると溢れるほどの記事が載っていますし、YOU TUBEでも殆どの映画の予告編や主題歌が載っています。また、日本語ではありませんが無料で観られる映画も、かなり配信されています。

 

ところで一昨年の四月十四日に朝日新聞出版より、マカロニ・ウエスタン傑作映画DVDコレクションが出版されました。創刊号はクリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』で早速、筆者は購入しました。マカロニ・ウエスタンのDVDは約八十本持っていますが、今回は吹き替え版なのと、パンフレットが楽しみなので定期購読にした次第です。

 

それはさておき、この度筆者が試みたのは今までになかった観点からです。目次のタイトルを次に示しますので、是非とも読んで頂ければ光栄に思います。

第一章 マカロニ・ウエスタンの“新たなる旅立ち”
第二章 ニート達よ、“ジャンゴ”になれ!
第三章 マカロニ・ウエスタンの歌詞と“国家の品格”
第四章 団塊世代に告ぐ“帰って来た初老のガンマン達”
第五章 マカロニ・ウエスタンの本当の魅力とは

 

その中で第三章 マカロニ・ウエスタンの歌詞と“国家の品格”に書いてある歌詞の一部を紹介したいと思います。

第一節    この手で触れたいのは
      鍬の木の温もり
      穀物の荒い穂
      女の滑らかな髪
      だが殺し屋には許されない

第二節 人と目を合わせ
      そこに笑顔が見たい
      大勢の人と握手がしたい
      だが殺し屋には許されない

第三節  日向の丘が待っている
      木の枝が弱り
      春の訪れを知らせる
      死ぬ贅沢はない
      すべては生の真実だ
      だが俺には語れない

 

この歌詞は『情無用のコルト』の冒頭シーンで語られているものです。題名だけ聞くと怖い映画のようですが、マカロニ・ウエスタンの中でも典型的なB級映画であり、スターの知名度も低くストーリーも単純で、ニコ・フィデンコの曲がちょっとばかり印象に残る程度で、すっかり忘れ去られている映画です。


しかし、その歌詞を何度も読み返してみると、雪国の農家で生まれ育った筆者にとっては、
第一節の  この手で触れたいのは
        鍬の木の温もり
        穀物の荒い穂

という歌詞を読むだけで、今から五十五年前の少年時代、雪国の長かった冬が終わり、雪も溶け出してきた春のうららかな日に、母が慣れた手つきで鍬を持って畑を耕している姿や、そして秋の収穫時には父がたわわに実った稲穂を手に取って、これなら稲刈りしても大丈夫だな、と日焼けした顔に微笑を浮かべている姿を、大変に懐かしく思い出させます。


そして 第三節の 日向の丘が待っている
            木々の枝が弱り
            春の訪れを知らせる

という歌詞は長い間どんよりとした空のもと、雪の中で辛抱強く生活している故郷の人達を思い起こさせます。さらには、どんなに苦しいことがあっても必ず、日向の丘が待っていると心に願うだけで、希望と安らぎが得られます。
  
第二節の 人と目を合わせ
       そこに笑顔がみたい
       大勢の人と握手がしたい

この歌詞こそ、人と人との触れ合いを大切にするには何が必要か、さらには戦争をせずに平和に暮らすにはどうすればよいか、短い言葉で簡潔に述べられています。人は皆、どんな赤ちゃんでも、ニコニコ(ブルーノ・ニコライ、ニコ・フィデンコ)している笑顔を見れば心が安らぎ、この子の将来を思いやる全人類共通の心が湧いてくるものです。

 

以上が筆者なりの感想でありますが、第1節 この手で触れたいものは、鍬の木の温もり、穀物の荒い穂は、貧乏ながら一生懸命家族を養う為に働いている両親の姿が思い出され、これは“国家の品格”で藤原先生が説いておられる家族愛と重なり合って見えます。そして第3節の日向の丘が待っている、木々の枝が弱り、春の訪れを知らせるは、遥かなる故郷の人達を思い出させ、これもやはり“国家の品格”での故郷愛と重なります。さらに第2節の人と目を合わせ、そこに笑顔が見たい、大勢の人と握手がしたいは、人類愛として繋がって見えます。

 

なお、タイトルにあるマカロニ・オヤジとつぶやきの用心棒については、各章の終わりにユーモアを交えて会話形式に書いてあります。

キンドルにて電子書籍出版、価格100円