お母さんに「抱っこ」してもらおうと決めたその日、夜9時ごろに、名古屋から鹿児島のお母さんに電話をした。

「お母さん」と約30年ぶりに呼べるだろうか?

違和感満載だろうけど、出来るだけ「さらっ」と言ってしまおう。

電話口のお母さんはいつも通り元気のないだるそうな口ぶりだった。

私:お母さんにお願いがあって電話したの。
       心理学のワークでお母さんに抱っこして欲しい    
       の。

母:何で今更そんなことをしないといけないの?

私:私は育ちが変わってるでしょ。
       変わった宗教をしていたし、長い間経済援助もし    
       ていたから。

母:私は虐待なんかしていない。
       何でそんな治療が必要なの?

私:治療がじゃなくてワーク、もっと軽いものだよ。

母:私の兄さんたちは2人とも給料袋ごと家に入れてい
       た。

私:お母さんが子供の頃はそういう家庭も多かったん
       だろうけど今はそんな時代じゃないよね。

母:親の面倒をみている人は世の中にたくさんいる。
       家にお金を入れていたというけどあなたもあの家
       の中で生活していたんだからね。
      一人暮らしをしたら、生活にどれだけお金がかかる
      かわかるでしょ。

私:ほとんどの親は自分の生活は自分で支えていて、    
        子供を自分の家に同居させている。
        そういう家庭が多いんじゃない?

母:私は躾すら受けてこなかった。

こんな内容の会話だった。

「お母さん」と言えた。

思ったほど違和感は無かった。

ホッとした。

第一関門はクリアした。

これからは「お母さん」と呼んで親子の関係性を元に戻そうと思った。



お母さんは私が経済援助するのは当然と思っているように感じられた。

自分がしてもらうことしか考えていないように思えた。

「お母さん抱っこして」を実行したら、お母さんの癒されていない子供の部分が出てきてしまうのではないかと不安になってしまった。

して欲しかったこと、言って欲しかったことをお願いしても最悪「何で私がそんなことしないといけないの?」という返事が返ってきそうな気がして不安になった。

そういう事態になったら傷つくかな、がっかりするかな。

何となく冷静に受け止められそうな気もする。

「うまくいかなかったら話しを聞いてあげるから。」とひろちゃんが言ってくれたから、その時は頼ろう。

6月2日金曜日午後5時半に「抱っこ」の予約?をして電話を切った。

こうして私が逃げてしまわないように退路を絶った。