名古屋でのマスター49期の勉強会の翌日、5月28日(日)に同期のゆっきひろちゃんとお茶をした。

ブログでも心を動かされたけど、ゆっきが勇気をふりしぼってお母さんに抱っこしてもらった話しを直接本人から聞いた。

話しを聞いている間、ずっと静かに涙が溢れてくる。

私の体は反応していた。

私にも「お母さんに抱っこしてもらう体験が必要だよ。」と体が教えてくれる涙だった。

それでも勇気がなくて、今すぐに実行しようとは思わなかった。

初めから「無理」と諦めていた。

いつかそんな気持ちになったら実行しようくらいにしか思っていなかった。



次の予定があったゆっきと別れた後、場所を変えてひろちゃんとお茶をした。

ひろちゃんとの会話から

私は相変わらず自己否定もやめられていないし

必要な行動も起こせていない

頑張っているゆっきやひろちゃんに対しては「こんな私で許してね」

という態度でいることに気付かされた。


ひろちゃんは観察力が鋭くて、それを本当に適切な言葉で表現できるから本当に心に刺さってくる。

「自分を労うこと」「自分にあるものを数えること」は毎日続けていて、少しは変わったつもりでいた。

でも、私はまだまだ甘いんだということに気付かされた。

同期の中でバンジーを飛んでいない、つまり勇気を持って自分のタブーに飛び込んでいないのは私だけだった。

他の同期たちは時には泣きながら、怖い思いをしながら自分のタブーに飛び込み、自分と向き合っていた。

せっかくマスターで学ばせてもらったのに、相変わらず逃げ続けていた。

本当に大切なのは自分のタブーに飛び込む「勇気」
それが良い変化をもたらしてくれる。

必要な場面で「勇気を出す」ことからは逃げてはいけないのだと気付かされた。

お母さんに「抱っこして」と言おう。

それも出来れば今日のうちに、私の気持ちが変わって逃げてしまわないうちにお母さんに電話をしよう。

そう決めた。

ひろちゃんがアドバイスをくれた。

抱っこしてもらう時には、頭を撫でてもらったり、背中をさすってもらったりしながら「よく頑張ったね」「よく我慢したね」って声をかけてもらうんだよ。

子供の頃にして欲しかったことをしてもらうということなのだろう。

私が子供の頃にして欲しかったこと、かけて欲しかった言葉は何だろう?

すぐには浮かんでこなかった。



ひろちゃんと別れた後、「抱っこ」以前の問題に気が付いた。

私はお母さんのことをもう30年近く、下の名前に「さん」を付けて「〇〇さん」と呼んでいた。

その呼び方にはお母さんのことを見下した気持ちが込められている。

お父さんとはたった2ヶ月の交際期間で、周囲に勧められるまま相手のこともよく分からないで結婚して離婚している。

「エホバの証人」の宗教にのめり込み、私の人生まで台無しにしてくれた。

常識がなくて躾もできないダメな親。

ちっとも頼りにならなかった。


お母さんのようにならないように生きてきた。

高校卒業後、就職して、38歳になるまで20年間、手取りの半分以上を家に入れて、お母さんと統合失調症の妹を経済的に支えてきた。

お母さんと妹が楽して生きながらえるために私は利用されていると感じたこともあり、その時は悔しかったし、悲しかった。

私には社会の中にちゃんとした居場所と立場がある。

私の方がお母さんより上、まとも、そんな風に思っていた。

そんな私が「お母さん」と呼べるだろうか。