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お通夜での挨拶(改訂版)

 
本日は大変お忙しいところ、父の通夜にご参列下さいまして・・・(中略)

この度の父の訃報をお伝えすると、沢山の方が悼み惜しんで下さいました。
その声を聞くうちに一年ほど前に父と交わした何気ない会話と、
10年近く前に読んだ宮沢賢治の短編童話のある一節が思い出されました。
 
父との会話というのは実にたわいのないものでした。
一緒にテレビを観ていた時、ニュース番組で何かの芸術に貢献した人が表彰される、という場面になり、それを見ていた父は
「こういうふうに表彰されるのは頭を使う人ばっかりで、
俺たちみたいな体を使う人間が表彰されることはまず無いなー」
とポツリと言いました。
僕は「そう言えばそうだね」くらいの答えしかしませんでした。
 
そしてもうひとつ思い出されたのは、宮沢賢治の「マリヴロンと少女」という短編童話の中の一節で
「正しく清く働く人は 一つの大きな芸術を 時間のうしろに作るのです」
というものでした。
この本を読んでいた当時も、この言葉の意味を深く考えることはありませんでした。
 
父は子供の頃から祖父の船に乗って漁を手伝い、病に伏せる直前まで漁師一筋で働き続けました。
この度の父の死を伝えると、誰もが「いい漁師だった」「名人だった」と、
「本当に気持ちの良い人だった」と口々に言って下さいました。
港で一番と言われるほどだったその漁師の腕、そしてその人柄への暖かい言葉、
それらこそが父の作り上げた芸術なのだと気づきました。

「正しく清く働く人は、一つの大きな芸術を時間のうしろに作るのです」

たとえ表彰状は無くとも、沢山の人が父の人生を讃えてくれている。
父の作った芸術は「頭を使う人」の作った芸術に決して劣るものではない、
そう証明してくれているように思えてなりませんでした。

長い時間ご清聴下さりどうもありがとうございました。
それでは、ささやかではございますが隣の席に簡単なお食事を用意してありますので・・・(後略)
 
 
お通夜での挨拶(改訂版)・終
 

お通夜での風景


 
お通夜の前日、親父が帰宅し柩の周りを整えて一段落すると、葬儀屋さんと遺影の最終打ち合わせがありました。
姉が選んだのは10年以上前のお祭りの最中に撮られた親父の写真。
一番丸々と太っていた時期で、赤いハチマキに白のダボシャツ姿の笑顔の親父でした。
 
4年前に心臓を患って以来すっかり痩せたままの親父に見慣れてしまった僕としては違和感アリアリだったのですが、
帰省した時にだけ親父を見てきた姉としては、子供の頃から長い間ずっと見慣れていた太っていた親父こそが、そのイメージらしいです。
葬儀屋さんの話では当初はハチマキもダボシャツも修正する方向でしたが、
親父が大のお祭り好きだったことを話すと、それならば、とそのまま遺影にすることとなりました。(↓)
イメージ 1
 
僕は地元のお祭りに直接参加することはなかったのですが、同級生に言わせると
神輿を担ぎながら唄う親父の「木遣り」はとても上手だったそうです。
僕は酔いつぶれた親父を拾いに行くことが多かったので、あまり良い思い出はありませんけど(笑)
 
今回の葬儀の祭壇の全景になります。
中央の画面に親父の遺影と、思い出の写真たちが交互に映し出されています。
イメージ 2
 
住職のお経の後、アナウンスの解説と共に親父の思い出をつづったスライドショーが行われ、そのいくつかの写真を挙げておきます。
僕が生まれて間もない頃、隣りは姉です。
イメージ 3

親父と一緒に寝ているのはシャム子さんと初代シルバー(現在は3代目が襲名)。
イメージ 4
シルバーは行方不明という辛い別れだったため、以来写真を見ることもなく、
約10年間ぶりにの再会でした。。。
 
食後の親父と若かりし日のジュン君。15年間、ほぼ毎日ずっとこんな調子でした^^
イメージ 5

(お通夜で撮り忘れたので後日フレームに入れて撮影)
親父の釣った巨大カジキと、隣の小さい女の子は姪っ子です❤
イメージ 6
特大クラスのカジキを親父が釣り上げ、普段は魚の仲卸業者が落札するのですが、地元のイベント用に特別に町が買い上げ、その当日に披露されました。

親父と共に天に昇る副葬品たち。右端にあるのは漁に使っていた仕掛けです。
イメージ 7

お通夜の最後に喪主の挨拶が予定されていて、数日前からぼんやりと話すことを考えていましたが、前日に葬儀のタイムスケジュール表のようなものを渡され、
その中に挨拶のお手本もあり、それを読み上げれてば良いとのことでした。
僕が考えていたものは通夜にふさわしくない内容かもしれないので止めにしました。
 
でも住職のご挨拶はかなりくだかれたものでしたし、親父のこと、そして親父の死を悼んでくれた人たちのこと伝えておきたい、と思えてきて、
直前まで迷いましたが、お手本の挨拶を途中まで読んだ所で、自分で考えていた挨拶を話し始めました。
書面にしていないのでまとまりの無い内容になることをあらかじめお詫びしておいたものの、案の定、最後のほうは支離滅裂で、かなり強引に言葉を結ぶ情けない挨拶となってしまいました…。
 
こんなことならもっときちんと考えを練っておけばよかったと悔いが残りましたが、
幸か不幸か、その際のマイクの調子が悪く(僕もボソボソしゃべっていたので)
参列者のほとんどが聞き取れなかったとのこと…(-_-)
担当の葬儀屋さんだけが「感動しました!」と言ってくれましたけど…。

あまりに無念でもありますし親父にも申し訳ないので、別記事に改訂版という形で
喪主挨拶のリベンジ記事を書かせて頂きます。
 
挨拶の失敗に落ち込む暇もなく食事の席が始まり(お通夜の会場のすぐ隣の部屋が食事の席)とても楽しく賑やかなものとなりました。
出されたもの以外の飲食の持ち込みも可能とのことで、焼酎やら氷やらを外の店に買いに走ったり、
数人が泊まれる部屋もあるので、早々に眠たいというお袋をその部屋に寝かし、
備え付けの掛布団では寒いというので家から掛布団を持って来たり(ついでに犬猫の世話も)
僕はつまみ食いをしながら(笑)せわしく飛び回っていました。
やがて参列してくれたご近所の人たち、近くに住む親類も自分の家に帰り始め、9時頃にその会場は一旦お開きとなりました。
でも寝室の隣りの八畳間くらいの部屋でごく近親者だけでさらに「宴会」の続きが。
 
親父の兄弟は戦争や病気亡くなったりして、現在残っているのは弟二人だけで、
親父は温和で口数の少ない人間でしたが、弟二人は若い頃からかなりのヤンチャだったらしく、下の叔父は昔ヤクザをやってた時期もありました。
 
結局その叔父二人だけは最後まで飲み続け、僕がその相手をしないわけにもいかず、
「この家を背負う以上は(どんな相手にも)絶対に負けるな!」と、何百回、あるいはそれ以上の単位で聞かされ続けました…。
でもそれは説教というより、親父の加護が無くなった僕へのエールのように思えていました。。。
 
酔っ払いたちがやっと寝る気になってくれたのは日付が変わった頃でした。
寝室に連れて行き、下着だけにして寝かすと、もうただのおじいちゃん達ですが、
下の叔父の背中の「模様」は相変わらずで、それが無ければ昔そのスジにいたとは
誰も信用しないことでしょう。
 
深夜1時を回る頃に一旦家に帰って仮眠を取り、翌日の告別式に備えました。。。
 
 
お通夜での風景・終
 

お通夜までの風景

   
早いもので、親父が亡くなってからもう一か月が経ちました。
分からないことだらけだった、お通夜と葬儀もどうにか無事に終え、
一応その様子をお伝えしておこうと思いながら、
今度はお盆の準備と密林ジャングルと化した家周りと畑の雑草取り、
更に相続の手続に日々追われ、お盆も過ぎてやっと一息ついたところです。
 
冒頭でお伝えしたように親父の最初の月命日が来ることもあり、
今更ではありますが、お通夜と葬儀でのことを記しておこうと思います。
十数年前に祖母が亡くなった時はお通夜も葬儀も自宅で行なったのですが、
その時は近所中の人が手伝いに来て、その対応で逆に疲労困憊、
更に弔問の人も来て家の中がごった返していた記憶があります。
現在は大手の葬儀屋さんの葬祭場が出来たのでそこを使う人がほとんどで、
親父の葬儀もそこを利用、すっかり葬儀屋さん任せにすることにしました。
 
親父が亡くなる前日、ショートステイからお袋を引き取りそのまま病院へ。
親父と対面させての帰路、大昔に看護婦をやっていたので見慣れているのか、
帰りの道中、「もう長くないね」と覚めた口調で話していました。
 
翌日、姉に静かに看取られた親父に会いに行くと、間もなく看護婦さんが身体を綺麗にしてくれ、遺体安置所へと運ばれて行きました。
その部屋の前で慌ただしく葬儀の段取り会議が始まり、
葬儀屋さんと町役場に電話し火葬場の日程の確保、葬儀の日取りを決め、
まず葬儀屋さんの安置所で親父を一泊させてもらうことにしました。
かなり急だったので家の方の準備が間に合わず、仏壇間には親父を寝かせるだけスペースが無いためでした。
ご近所への親父の亡くなったことのお知らせも、家の方へ不在の親父の顔を見に家に来てしまうと困るので知らせずにおきました。
 
仏壇のある八畳間(4年前、お盆にお坊さんがお経を唱えてる最中に、仏壇からネジが飛び出してきたこともありました。。。)に親父を寝かせる予定なのですが、
通販やオークションで買い集め、売りさばいてやろうと悪巧みをしていた品々の段ボール箱が八畳間から玄関までも埋め尽くした状態だったので、まずそれらを
使っていないボロ空き家へ大移動させることに。
 
翌日、夜明けと共に大移動開始!リミットは午後1時!
車に段ボール箱を積めるだけ積み、5分程度走って空き家へ運んで積み下ろし
また家に戻って車に積む、の繰り返し・・・
お通夜や葬儀の細かい打ち合わせは全て姉任せ、親父の遺影選びやお通夜のスライドショーの写真選びも全て姉に任せて、僕は朝食も摂らず、ありえないような量の汗をかきながら、ひたすら引越し屋さんに徹しました。
 
リミットの午後1時が近づき、箱の運び出しはどうにか終わったものの、
小物の整理はもう間に合わないので、襖を隔てた隣りの部屋へブルドーザーよろしく、ザーッとそのまま押し込めてしまい(笑)
打ち合わせと写真選びから戻った姉に掃除機をかけてもらっている最中に葬儀屋さんの車が到着、親父の半年ぶりの帰宅となりました。。。
 
僕としては短い時間でも親父を布団に寝かせてあげたかったのですが(犬のジュン君が添い寝が出来るように)
夏場ということで傷みが進まないように、ドライアイス入りの柩のままで寝かせることに。。。
 
晴れてご近所さんたちへ親父の死去の通達となりましたが、田舎の情報伝達力は
SNSに負けておらず、もうほとんど情報は洩れていました。
夕方まで入れ替わりで親しい人たちが親父の顔を見に来てくれ、
夜は猫たちが柩の上に乗ったり、爪でガリガリしたりしてましたが(汗)
たぶん親父も怒らなかったろうと思い、そのまま好きにさせ、
親父の上で一晩を明かした子も何匹かいました。
 
翌日の夕方6時にお通夜は開始、4時に葬儀屋さんが引き取りに来て、
遺族もその後間もなく会場入りをすることになっていたのですが、
一番困ったのはジュン君の散歩で、いつもは太陽が沈みかけた午後6時近くに家を出るのに、まだ灼熱の太陽が照りつける中での散歩となってしまい、
傘で日陰を作ってやりながらそれでも暑さでゼーゼーと息が上がり、何度も歩みを止めていました。
 
予定時間が過ぎる中、大急ぎで亀やメダカや犬猫たちの晩ご飯を済ませ、
結局「喪主」の僕がお通夜に一番の遅刻をしてしまいました・・・(恥)
 
 
お通夜までの風景・終