最近はちょっとつまらん生活を送っているので、特に書くこともないというのが本音。


だって、夏休みにはあんなにいっぱいネタがあって、毎日更新しきれねーよって感じだったけど、そりゃ学校始まればだいたい毎日の生活は決まってくるわけで、書くこともなくなりますよってなもんですわ。


でも、思ったんですけど、ブログって本来こういうネタのない状態で書くものですよね。毎日が驚きの連続♪みたいな小学生みたいな生活送ってる人なんて、よく考えたらいないわけです。

書くネタがないからこそ、自分のもっと深い部分を書こうとするその人に関しての理解が深まる意外な一面を知る面白い!ってなるのが本来のブログの面白さで、実際そうあるべきだと僕は思うのです。


だから、決めました!僕は今月は「ブログ毎日更新月間」にします!

9月の短縮化月間に続くイベントです。


って、もう10月も半ばなんですけど、そんなことは気にしません。

今日から、毎日更新して、マジくだらないことを手間ひまかけずに(←ここ重要!)書いていきたいと思う所存でございます。


さて、では今日のお題を・・・。


危機感が、無いですね、最近。


いきなり何を言い出すんだ、この人は!とお思いになった方も多いでしょうが、つまり、「やべー、○○しねーと」みたいな、大学生なら誰もが常に持っているような、何かが迫ってきているという危機感が、ほとんどないんです。


みなさんは普段危機感なんて意識しないで生活しているかもしれません。それでも、僕よりは絶対危機感感じてると思うんですね。


例えば、単純に、寝坊したとしましょう。

普通の人はここで、

やべー、寝坊しちゃったよー!!」

と、若干、もしくはおおいにあわてて出かける準備をするでしょう。


しかし、僕はそんなあわてることなど決してありません。

というか、もしかしたらみなさんには衝撃かもしれませんが、僕はここんとこ、目覚ましをかけて寝たという記憶がありません

現代人なら誰もが当たり前のように使っていると思われているあの目覚ましを、僕は使わないんです。だからと言って、朝早く起きられるというわけでもないんです。

起きるときは、人間どうやったって起きるし、寝るときは寝るよ

というなんか全く意味の無い悟りの境地に、最近到達してしまっています。


これは、正直申しまして、いかんです!はい。


現代は、リスク管理の時代です。

目の前の危険のみならず、将来の危機すらも見据えて生きていかなければ、必ず足元をすくわれるのです。


では、危機感とは、どうやって養えばいいのでしょうか??


これは人それぞれ独自のやり方があると思うんですが、僕の場合の解決方法は、、、

あえて、何もしない!!

これまた、最悪の方法かもしれません。が、必ず「どうにかなる」やり方です。

まあ、「どうにかなった」時には、すでに手遅れの場合もあるとは思うんですが、いまんとこ僕が生きてきたなかで、この「時に任せる」方法でとりかえしのつかない失敗をしたことはありません。


時の流れ」は偉大です。


時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)ていれば、いつか誰かが僕に「忠告」してくれるんです。そんときに僕は「危機感」を取り戻します。

時間まかせ」というより、「人まかせ」というべきかもしれないですね。


で、なんでこんなことを言い出したのかというと、夏休みの宿題を、僕は全くやっていなかったからです。


すでに前期試験期間中から、おかしかったのです。

試験期間中に提出しなければいけないレポートが、僕は3枚あったのですが、僕はこれを1個もやりませんでした。いったい何を考えているのでしょう??

レポートはやらなくても、単位は来る!」

という揺るぎない自信が、僕の中にはあったのです。


レポートはあくまでも授業の理解度を調べる「手段」にすぎない。

レポート提出することが「目的」ではないのです。


「手段」と「目的」をごっちゃにしてはいけません。

手段と目的がひっくり返ったとき、人生は一気につまらなくなる。」

これは、僕の尊敬する宗教学の先生の言葉です。


Butしかし、手段を用いずに目的を達成することは、とても困難なことでした。

結局、目の前に与えられた手段を忠実に実行することが、目的達成への確実な道であることは、多くの場合真実です。

もっとも、多くの場合、それが一番の近道ではないのですが・・・。


ともかく、一歩一歩でも、着実に前進する。

そんな人間が、成功する世の中です。

近道を探そうとリスクを犯すことは、非難されてしかるべきことなのです。


夏休みの宿題とは、ゼミでの卒論の中間発表のようなものでした。


この提出日、提出しなかったのは、僕だけでした。

そして、当然のごとく、先生に怒られました。


この先生のおかげで、僕は危機感を取り戻したのです。

ありがたいかぎりです。


とまあ、ここまでは、普通の理論。


ここから下は、俺のジコチューな話


危険を冒さずに生きることが、そんなにおもしろいのかよ

って思う自分がいるんです。

心の一番深いところに、つまりは、自分の根源的なところに、ひっそりと、そして、いつまでも住み着いているんです。

この気持ちを今「こいつ」と呼ぶことにしましょう。

僕は、正直、こいつのことが好きです。いわば、憧れです。

だから、自分の中から、こいつを追い出してやろうなんて、微塵も思いません。

でも、「今」を生きていくなかで、こいつは厄介者です。

僕にいい結果をもたらしてくれたことなんて、ほんとにただの1回もないんです。


もしかしたら、僕はいつか嫌気がさして、こいつを絞め殺してしまうかもしれない。

最近、そう思うことが、多々あります。

こいつのせいで、僕は今までどれだけ損をしてきたことか。どれだけいらぬ苦労をしてきたことか。


でも、結局は、こう思うんです。

もし、僕がこいつを殺して、今よりずっと楽な生活を手に入れられたとしても、僕は今みたいにこころの底から笑うことはできないだろう

それは「反則」に似てる。

なにか犯してはいけないルールを破って、自分のために、自分が都合いいようにやって何かを手にしたとしても、どことなくすっきりしない。

そんなルールを犯しているやつは、世間にゴマンといる。でも、みんながやってるからって、自分がやっていいってことにはなんねえだろ。

自分を信じるんだ。僕はこいつと生きていく。

僕なら生きていけると思うんだ。


こいつと生きていくには、ほんとに色々学ばなければいけない。

こいつのしつけ方。どこにもそんなマニュアルはない。自分で勉強していくんだ。


そのために、僕は今日も勉強している。

今、僕を締め付けている危機感は、紛れも無く、こいつを失いたくないという危機感

なんか、矛盾してるけど。