祖父は祖母が
「死にたい死にたい、子供と一緒に死にたい」
と言うようになり、
祖父の実家を出て少し離れたところに家を建てた。
祖父は当時からとても祖母のことを考える人だった。



2人目ができた。
産まなかったのか、
産めなかったのかは分からない。
母親は一人っ子だ。
当時中絶と言う判断は勇気のいることだったと思うが、
おそらくそうしたのだと思う。
祖母がこれ以上心に負担がかかると、
取り返しのつかない所まで行ってしまうと
祖父の判断もあったのだと思う。



この後に詳細を書きますが、
母親が中学生の時にも一度急に祖母がいなくなった事があったと言う。
「体調が悪くて入院した」
しか聞いていなかったが精神病院だったらしい。
祖父は一人っ子の母に心配や負担をかけたくないと
必死に隠していたらしい。
母親も何かおかしいと思いながらも聞いてはいけないと
子供ながら深く聞けなかったと言う。




この事は母親が26歳のときに初めて聞いた。
祖父が癌で亡くなる直前に病院に呼び出され、
祖父から伝えられた。

自分が死んだ後の祖母を頼むな。
という意味も込めて。