日本の風水は中国から来たと言われています。
確かに私も中国伝統風水をしていてそう聞いています。
でも、日本の風水は少し中国伝統風水とホントは
違った側面も持っているのです。
例えば「四神相応」というのを聞いたことがあると思います。
これは、ある場所がどのようなところにあればこれが
いい場所かの判断です。
「四神相応」は、
北に玄武の神様があり、山があればいいとされていて
東は、青龍の神がいて川が流れていることが吉とされ
西は白虎の神がいて、道が続いていることが吉とされ
南は朱雀の神がいて、土地ら開けていること沢があることが吉とされています。
四方に山、川、道、沢がそろうこと、
この四条件がそろうところが「大吉」の土地で栄えるとされているのです。
実際の所、京都の都、江戸の都、鎌倉はこの土地を探し
て造都されたことで有名です。
日本歴代の政権所在地の建設の基本原理となった
「四神相応」風水論が確立していたのです。
これいつからかというと7~8世紀の奈良明日香村の
キトラ古墳や、高松塚古墳の壁画からも
この玄武、青龍、白虎、朱雀の四神が書かれていることでもわかるのです。
でもこれ、厳密に調べるとどうも中国では
その昔「四神相応」はというものはないことが多いらしいのです。
という事は、日本で加えた??
それか基になる物からのアレンジ??
「四神相応」の山川道沢の風水論は
平安時代からはすっかり定着しており、
庭をつくるにあたってもそれを造園風水として
成立させていたそうです。
でも繁栄する都が実際にあったのですから
それはそれで事実という事なのですね。
また、
安倍晴明で有名な陰陽道は
7世紀半ばすぎから誕生したと言われていて、
この陰陽道は、
日本の国の国家事業にまでなっていたらしいです。
この国家プロジェクトは、
道教、密教、宿耀、呪禁(じゅごん)をもとに
占い、天文、暦をを扱う任務に就いていたという事です。
つまりはそのころから「風水」も定着化し始めていたの
でしょう。
ロマンのある話ですが、いかに我々日本人が
実は「風水」に重きを置いて生活していたかを
知ると面白いものがあります。
「結果」があったから実行していたことになるのでしょう。
実に不思議なものですが、私はやっていて
実感バリバリだからこのロマン大好きです!
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