つれづれレミゼ -7ページ目

つれづれレミゼ

2007年レミゼデビューを果たした初心者が、レミゼや舞台に対して思うところをつれづれなるまま書き記す場所です

鈴木杏
馬場徹
和田正人
吉田智則
小澤雄太
加藤雅也
武田義晴
富岡晃一郎
山崎銀之丞


9/14(火)ソワレ・初日
9/17(土)マチネ
9/24(土)ソワレ
9/25(日)マチネ・千秋楽


PARCO劇場


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髑髏城の東京前半は、実は同時に幕末純情伝にも通っていたのでした。髑髏城と幕末のマチソワ2本立てを2回くらいやったもんね。我ながらあほだと思うわ(笑)


この演目、銀ちゃんを目当てにチケット取ったのに、それ以上に、若手たち、特に総司役の杏ちゃんと、龍馬役の馬場くんに心を奪われる結果となりました。特に馬場くん。 もちろん杏ちゃんには最初から期待していたけど、特に期待してなかった馬場くんがこんなにいいなんて、嬉しい誤算!!!


初日に観たときの馬場くんは、ちょっと薄いかなー、筧さんに似てるなー、なんて思ったんだけど、二回目以降は緊張がほぐれたのか、杏ちゃんの芝居とがっつり組んで、しっかりと「沖田総司と坂本龍馬」の話を見せてくれるようになって、その成長っぷりに驚き。杏ちゃんは、ともすれば他の共演者が飲み込まれてしまいそうなほどの強いオーラを放つ役者さんなんだけど、ばーちょん龍馬はそのオーラに全く臆することなく、全部をさらけ出して、真っ直ぐ全身全霊で板の上に立っていて、回を追うごとに、どんどんカッコよく、とてもとても美しくなっていって、これが若さなのかなぁ、とただただ、まぶしかった。


総司と龍馬が結ばれる瞬間の燃え上がるような輝きが、今も忘れられない。二人が抱き合った瞬間、輝きと感情があふれ出し、劇場全体が二人の色で染まったように思えたよ。杏ちゃん総司も、ばーちょん龍馬も、本当に本当に美しくて。そのシーンに至るまでの二人は、汗と唾と涙でぐちゃぐちゃだったりするんだけど(とくに馬場くんなんてすごかった)、見栄えとか知性とかスマートさとか、そんなもの全部かなぐり捨てて、泥にまみれながらたどりついた瞬間だからこその、シンプルで力のある美しさがあった。それはまるで、人が人を愛しく思うことの美しさ、そのもののようにも思えた。今も思い出すだけで泣けちゃうよ……。


これがつか芝居なのかなぁ、と思った。下ネタと汗と唾と鼻水の奥に、根源的でものすごく美しい一瞬がある。私はまだつか芝居初心者でなのであまり沢山の芝居を観たわけではないのだけど、この2月の「熱海殺人事件」やシナリオフォトブックで観た「銀ちゃんが逝く」は、鳥肌が立つような美しい瞬間があった。今回の幕末は、さらにそこに、若い役者が臆することのない新鮮なエネルギーが加わって、とても良い芝居になっていました。よいものが見られて幸せです。


(銀ちゃんが今回あまりよいと思えなかったのは、結局"守り"に入った芝居に見えちゃったからなんだろうなぁ。全部をかなぐり捨かないとたどり着かない、あの一瞬の輝きを見られなかったから…。残念です……)


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それはそうと、馬場くんがかなり気になる役者さんになったので、うっかりこのテンションのまま、12月の帝劇に行く予定です。どんなヴァンパイアを見せてくれるか、楽しみ、楽しみ♪

ようやく私の夏が終わりました。「髑髏城の七人」に予想外に通ってしまったために、いつまでも夏が終わらなかったという(笑)。


初日付近で大阪で観たときは期待には届かず、「あれ……??」と、若干テンションがさがったりもしたんですが、東京後半、ぐぐっとよくなり、それが自分の大好きな方向だったので、最後までどうしても観たい、と千秋楽まで一緒に駆け抜けました。(と、いっても大阪・東京あわせて5回しか見ていないから、さほどの回数ではないんだけど)




小栗旬の捨之介が、私にはすごくすごく好きな造詣だった。


飄々とした仮面の下に、優しさと弱さと迷いを隠している捨。人々の真ん中にいるんじゃなく、一歩だけ引いたところから皆を見守って、ニコニコ笑っているような、そんな捨。様々なインタビューで、かずきさんやいのうえさんが言っているように、ワカドクロは青春群像劇として作られている。その中で、迷って悩みながらも、進んでいくことを決意する捨の姿にこそ、かずきさんが芝居に託そうとしている思いがこめられているような気がしてならなかったなぁ。


千秋楽で鳥肌が立つほどの気迫を感じたシーンがあったんです。それはラスト、「斜に構えたこの俺の ここが命の捨て所」って見得を切るシーン。このシーン、当初は、直前の7人のシルエットでクライマックスな気がして、つけたしのように思えてしまったのだけど、日程を経るごとにだんだんと小栗捨の気合が全然違うものになっていって、千秋楽では今まで見たことのないほどの迫力だった。


いつも思うけれど、"死ぬこと"に対して腹が据わったときこそが、"生きること"に対して真摯に向き合うようになる瞬間だと思うのです(例えば、RENTの「What you own」でも"We die in AMERIACA"のくだりが一番の涙腺決壊ポイントだったりします)。「ここが命の捨て所」と、すべての気力を振り絞って見栄をきる姿が、それまで斜に構えた態度の裏に弱さを隠していた捨の、生きることに対して腹をくくった瞬間に思えて、涙と鳥肌が止まらなかった。


それを見せてくれたら、もう満足って思っちゃった。あの瞬間、私の心は深くえぐられたから。どんなお芝居に限らず、深く心をえぐられる瞬間を求めて劇場に通っているので、それを満たしてくれたから、この芝居に出会えたこと観られたことに感謝・感謝の気持ちでいっぱいです。


(ただ、ひとつだけいえば、この完成度が千秋楽ではなく、もう少し早い段階で行き着いていたら、とそれが残念……。ゲキシネ収録日でさえ、きっと千秋楽での完成度には遠いんじゃないかと思ってしまう…)


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以下、まとまった感想にならないんだけど、後の自分のために、つれづれに感想を書いておきます。


旬捨が好きすぎて、脳内補完をかなりしていることを否めないのだけど、旬捨って、物語の最初はなにひとつ捨てられていなくて、それこそ天や蘭のことを気にして関東に流れてきたように思えるんだよなぁ。まるでお兄ちゃんみたいに、次男と三男の心配をしているように思えた。


千秋楽、天魔王を倒したシーンで「こんなのありかよ」の天の言葉に答える捨の台詞「ありなんだよ、お前を倒すためならなんだってな」が、怒りの声音じゃなく、もっと優しくて泣き笑いみたいな声音だったことがすごく印象的だった。天魔王のことも受け止めるかのような声音で。ワカドクロの捨にとっては、天という存在は、"倒すべき絶対の悪"ではなく、"かつてともに同じ夢を見た仲間"なんだなと思えて切なかったな…。(ただ、本当に千秋楽のただ一回だけのことかもしれないです。10/8のマチネも観劇したけど、そのときはこうは感じなかったから。


そういう優しさと迷いを持つ捨に、シンプルで強い生命力を感じる仲さんの沙霧はとてもよく似合っていたなぁと思う。沙霧は悩むくらいならその前に駆け出すような印象のある子で、その強さが捨の上に覆いかぶさっていた殿の影を追い払ってくれたんだろうなぁ。聖子さんがパンフレットで、「アカドクロのときはラストに死の影を感じた」って言っているんだけど、ワカドクロのこの二人は、終幕のあと、夫婦になって沢山子供を生んで地に足をつけて生活していく感じがする。


天魔王の鎧の中が捨であることを見破って捨を救いだしたあと、沙霧に対して捨が呼びかける「さーぎり」って言い方が、なんかもう、とことんずるいなぁといつも思ってました。まるでだだっこをあやすような、全部を受け止める優しい呼び声。ここの呼びかけ方もどんどん情が深くなっていって、二人の関係性がたったこの一言で表されるようで、好きだったなぁ。


聖子さんの贋鉄斎は見た目も心根もおかんそのもので、こんなおかんが見守ってくれていたからこそ、若者三人が(芝居上)好きなだけ青臭く迷えているんだなぁと思えて心強かったです。贋鉄斎が過去を匂わす台詞(「ずいぶんと懐かしい名だね」とか「あんたが天魔王を名乗るならね」とか)を言うだけで、涙がじんわり浮かんだりしてたよ。昔も今も変わらず見守ってくれていたんだなぁ、と。


百人斬りについては、実は千秋楽でも違和感があった。テクニックがどうこうではなく。多分、そこまでの物語の中で見せてきた旬捨の人柄と、行動が合ってない気がするから。あのシーンだけ表情がガラ悪くなっているし。本来はショー的要素として単純に楽しむ部分だと思うんだけど、自分は楽しみにくかったなぁ……。


天魔王が蘭と対面するシーン。「よう、よう、よう」と出てくるので、ラップでも歌うのか!?と毎回思わず突っ込みをいれてしまってました。(脳内では「YOW、YOW、YOW」という書き文字になってた(笑))


捨に鎧を着せて「これからお前のことを"天魔王"と呼ぶものを倒せ」と暗示をかけていくシーン。言ったすぐそのあとで天が「お前は天魔王だ!」と念押しするように言うので、いや、天魔王って呼びかけたら捨が襲い掛かってくるでしょ、とここも毎回突っ込んでました(笑)


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私はすごくすごく楽しんだ公演だったけども、それは何度も通ったからで、一度しか観ていない人にとっては、「ちょっと……」という出来の状態のときはあったと思う。それがやっぱり歯がゆい。もう少し早くこのラスト2週間くらいの状態になっていたら……。


そして、元々の脚本から大きく設定を変えたために、脚本のバランスが悪くなっているような気がする。例えば沙霧が「赤針斎」だったって設定、その後に全く活きていないのでなくてもいいのでは、と思ってしまったし。逆に、自分が脳内補完したところ(主に三人の過去)について、もうちょっとエピソードか台詞での補完が欲しかった。兵庫の過去についてあれだけ時間かけて語るのに対して、主要三人の関係性を匂わせる部分が少なすぎるよ。


この二つの部分がもうちょっと違っていたら、もっともっとワカドクロの評価は高かっただろうなぁと思うと、そこだけどうしても勿体なく思っちゃう……。


それでも、最終的に楽しんだもの勝ち、とも思っています。2011年の夏、私はめいいっぱい、思い残すところなくワカドクロを楽しみました! ゲキ×シネになって戻ってくるのが、今から楽しみ♪ 旬捨が好きな造詣だったので(私は悩める主人公が大好きなのです)、思わず旬捨を軸にした物語ばかり追っちゃっていたけど、ゲキ×シネって人のフィルターを通す分物語の軸は変わって見えるから、きっと天や蘭を軸にした別の物語も見えるだろうな。それがとてもとても楽しみ!(そして、きっとゲキ×シネ時には過去の髑髏のリピート上映もあるだろうから、そこで今度はふるちん捨のカッコよさにきゃーきゃー言いたいです!!)


仕事がきつくて、毎晩帰ると日付が変わっているような日々のため、全然落ち着いてブログを書けていませんが、でも、そんなときこそ観劇にはしっかり通っています


2011レミ。当初はあまり気持ちが盛り上がらなくて、初日前はチケット1枚しか持っていなかったのですが、観始めたらやっぱり好きだーって気持ちが強くなって、どんどんチケット増えちゃったのでした。


新キャストはやっぱり観なくちゃ!という気持ちになったし。さらには、07レミから続投している役者さんたちも、少しずつ解釈や演じ方が変わっていて、また、自分自身もやっぱり胸のうちがいろいろ変わったために感じ方が変化してきて、同じ作品を数年おいて、繰り返し見ることの面白さを強く強く感じています。レミを観られてよかったなぁ。


今期一番自分にとって驚きだったのは、07レミのときはどちらかというと苦手だった山口バルジャンが、今期は自分の心情に凄くフィットするバルジャンだったこと。自分の罪を忘れない、どこかいつも苦しそうにしているバルジャンだった。いつも静かに神に祈っているような。「彼を帰して」の深い胸のうちに降りていくような祈りは素晴らしかったし、死を迎えて「罪深きわが身 あなたの元へ」と歌うときの開放感、安堵感は、他のバルジャンでは感じたことのない感覚でした。そして何より「誰かを愛することは 神様のお傍にいることだ」のフレーズが、こんなにも厳かに聴こえたのは初めてで、もう肩が震えるんじゃないかと思うくらいどうしようもなく泣いてしまって(そんなの、初見のとき以来かも)、ああ、私やっぱりレミが好きなんだなぁって思ったのでした。



語りだすといろいろ止まらなくなってしまうのですが…。


ひとまず、明日はマチソワ。明後日の大千秋楽は抽選に並ぶつもりではいるけど、かなり確率は低いと思うので、明日が見納めになる可能性が高いです。フラットな気持ちで、そのままを、熱を、祈りを、希望を、感じられたらいいなぁと思います。