ようやく私の夏が終わりました。「髑髏城の七人」に予想外に通ってしまったために、いつまでも夏が終わらなかったという(笑)。
初日付近で大阪で観たときは期待には届かず、「あれ……??」と、若干テンションがさがったりもしたんですが、東京後半、ぐぐっとよくなり、それが自分の大好きな方向だったので、最後までどうしても観たい、と千秋楽まで一緒に駆け抜けました。(と、いっても大阪・東京あわせて5回しか見ていないから、さほどの回数ではないんだけど)
小栗旬の捨之介が、私にはすごくすごく好きな造詣だった。
飄々とした仮面の下に、優しさと弱さと迷いを隠している捨。人々の真ん中にいるんじゃなく、一歩だけ引いたところから皆を見守って、ニコニコ笑っているような、そんな捨。様々なインタビューで、かずきさんやいのうえさんが言っているように、ワカドクロは青春群像劇として作られている。その中で、迷って悩みながらも、進んでいくことを決意する捨の姿にこそ、かずきさんが芝居に託そうとしている思いがこめられているような気がしてならなかったなぁ。
千秋楽で鳥肌が立つほどの気迫を感じたシーンがあったんです。それはラスト、「斜に構えたこの俺の ここが命の捨て所」って見得を切るシーン。このシーン、当初は、直前の7人のシルエットでクライマックスな気がして、つけたしのように思えてしまったのだけど、日程を経るごとにだんだんと小栗捨の気合が全然違うものになっていって、千秋楽では今まで見たことのないほどの迫力だった。
いつも思うけれど、"死ぬこと"に対して腹が据わったときこそが、"生きること"に対して真摯に向き合うようになる瞬間だと思うのです(例えば、RENTの「What you own」でも"We die in AMERIACA"のくだりが一番の涙腺決壊ポイントだったりします)。「ここが命の捨て所」と、すべての気力を振り絞って見栄をきる姿が、それまで斜に構えた態度の裏に弱さを隠していた捨の、生きることに対して腹をくくった瞬間に思えて、涙と鳥肌が止まらなかった。
それを見せてくれたら、もう満足って思っちゃった。あの瞬間、私の心は深くえぐられたから。どんなお芝居に限らず、深く心をえぐられる瞬間を求めて劇場に通っているので、それを満たしてくれたから、この芝居に出会えたこと観られたことに感謝・感謝の気持ちでいっぱいです。
(ただ、ひとつだけいえば、この完成度が千秋楽ではなく、もう少し早い段階で行き着いていたら、とそれが残念……。ゲキシネ収録日でさえ、きっと千秋楽での完成度には遠いんじゃないかと思ってしまう…)
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以下、まとまった感想にならないんだけど、後の自分のために、つれづれに感想を書いておきます。
旬捨が好きすぎて、脳内補完をかなりしていることを否めないのだけど、旬捨って、物語の最初はなにひとつ捨てられていなくて、それこそ天や蘭のことを気にして関東に流れてきたように思えるんだよなぁ。まるでお兄ちゃんみたいに、次男と三男の心配をしているように思えた。
千秋楽、天魔王を倒したシーンで「こんなのありかよ」の天の言葉に答える捨の台詞「ありなんだよ、お前を倒すためならなんだってな」が、怒りの声音じゃなく、もっと優しくて泣き笑いみたいな声音だったことがすごく印象的だった。天魔王のことも受け止めるかのような声音で。ワカドクロの捨にとっては、天という存在は、"倒すべき絶対の悪"ではなく、"かつてともに同じ夢を見た仲間"なんだなと思えて切なかったな…。(ただ、本当に千秋楽のただ一回だけのことかもしれないです。10/8のマチネも観劇したけど、そのときはこうは感じなかったから。
そういう優しさと迷いを持つ捨に、シンプルで強い生命力を感じる仲さんの沙霧はとてもよく似合っていたなぁと思う。沙霧は悩むくらいならその前に駆け出すような印象のある子で、その強さが捨の上に覆いかぶさっていた殿の影を追い払ってくれたんだろうなぁ。聖子さんがパンフレットで、「アカドクロのときはラストに死の影を感じた」って言っているんだけど、ワカドクロのこの二人は、終幕のあと、夫婦になって沢山子供を生んで地に足をつけて生活していく感じがする。
天魔王の鎧の中が捨であることを見破って捨を救いだしたあと、沙霧に対して捨が呼びかける「さーぎり」って言い方が、なんかもう、とことんずるいなぁといつも思ってました。まるでだだっこをあやすような、全部を受け止める優しい呼び声。ここの呼びかけ方もどんどん情が深くなっていって、二人の関係性がたったこの一言で表されるようで、好きだったなぁ。
聖子さんの贋鉄斎は見た目も心根もおかんそのもので、こんなおかんが見守ってくれていたからこそ、若者三人が(芝居上)好きなだけ青臭く迷えているんだなぁと思えて心強かったです。贋鉄斎が過去を匂わす台詞(「ずいぶんと懐かしい名だね」とか「あんたが天魔王を名乗るならね」とか)を言うだけで、涙がじんわり浮かんだりしてたよ。昔も今も変わらず見守ってくれていたんだなぁ、と。
百人斬りについては、実は千秋楽でも違和感があった。テクニックがどうこうではなく。多分、そこまでの物語の中で見せてきた旬捨の人柄と、行動が合ってない気がするから。あのシーンだけ表情がガラ悪くなっているし。本来はショー的要素として単純に楽しむ部分だと思うんだけど、自分は楽しみにくかったなぁ……。
天魔王が蘭と対面するシーン。「よう、よう、よう」と出てくるので、ラップでも歌うのか!?と毎回思わず突っ込みをいれてしまってました。(脳内では「YOW、YOW、YOW」という書き文字になってた(笑))
捨に鎧を着せて「これからお前のことを"天魔王"と呼ぶものを倒せ」と暗示をかけていくシーン。言ったすぐそのあとで天が「お前は天魔王だ!」と念押しするように言うので、いや、天魔王って呼びかけたら捨が襲い掛かってくるでしょ、とここも毎回突っ込んでました(笑)
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私はすごくすごく楽しんだ公演だったけども、それは何度も通ったからで、一度しか観ていない人にとっては、「ちょっと……」という出来の状態のときはあったと思う。それがやっぱり歯がゆい。もう少し早くこのラスト2週間くらいの状態になっていたら……。
そして、元々の脚本から大きく設定を変えたために、脚本のバランスが悪くなっているような気がする。例えば沙霧が「赤針斎」だったって設定、その後に全く活きていないのでなくてもいいのでは、と思ってしまったし。逆に、自分が脳内補完したところ(主に三人の過去)について、もうちょっとエピソードか台詞での補完が欲しかった。兵庫の過去についてあれだけ時間かけて語るのに対して、主要三人の関係性を匂わせる部分が少なすぎるよ。
この二つの部分がもうちょっと違っていたら、もっともっとワカドクロの評価は高かっただろうなぁと思うと、そこだけどうしても勿体なく思っちゃう……。
それでも、最終的に楽しんだもの勝ち、とも思っています。2011年の夏、私はめいいっぱい、思い残すところなくワカドクロを楽しみました! ゲキ×シネになって戻ってくるのが、今から楽しみ♪ 旬捨が好きな造詣だったので(私は悩める主人公が大好きなのです)、思わず旬捨を軸にした物語ばかり追っちゃっていたけど、ゲキ×シネって人のフィルターを通す分物語の軸は変わって見えるから、きっと天や蘭を軸にした別の物語も見えるだろうな。それがとてもとても楽しみ!(そして、きっとゲキ×シネ時には過去の髑髏のリピート上映もあるだろうから、そこで今度はふるちん捨のカッコよさにきゃーきゃー言いたいです!!)