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英 「しかし才谷、今もしも、老いさらばえた無意味な人間と、若きみずみずしい人間とがいるとする、誰でもいい、そうだ、あの溜水と妹の智のいずれかが、この世に生きるべきかという決定を、おまえの手にゆだねられたとしたら、どう? どちらが死んでいいの? どちらを死なせる? 」
才谷 「そんなことを聞いてくる気がしたよ」
英 「どちらに決める」
才谷 「決められないことを、どうして聞くんだ」
~野田秀樹「贋作・罪と罰」(解散後全劇作収録)より~
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連休のうちに大竹筧版の映像を見、脚本を読みました。「天翔ける風に」とは雰囲気も、テーマすらも違っているように感じられ、とても興味深かったです。文章にするのに時間がかかりそうなので、それはまた別の機会に。
野田の本は、本当に綺麗な言葉たちがちりばめられていてとても好き。「今すぐ外に行って~」の台詞も、「女が男を待つんじゃない。男が女を~」の台詞も、やっぱりこうやって活字で読んでも、とても美しい。でも、それ以外にも些細な台詞のはずなのに、胸にひっかかって忘れられなくなった台詞もあります。それが、引用した部分のところ。
「そんなことを聞いてくる気がしたよ」という台詞。読んだとたんに心臓がぎゅっと締め付けられるような気持ちになり、なんだか泣きそうになっちゃった。今も思い返すたびに、胸が痛みます。銀さま才谷の声で再生されちゃったんだよねー。銀さま才谷って、この台詞がとても哀しそうで痛みに満ちていた気がするんです。そして、その哀しみこそが、才谷の英への思いのように思えてならない。
このシーンでの英って、殺人を罪だと糾弾する「心」と、罪ではないという「理想」との間で雁字搦めになって、まるで自分の身を切り裂くかのように感情を暴走させている。才谷は、そういう英を見るのがつらいのかな。理想の迷路に迷い込んで、「死んでもいい人間などいない。誰は生きろ、誰は死ねなんてなんて決められる人間はいない」というシンプルな命題を見失っている英を目の当たりにすることが、とても苦しいのかな。その気持ちが「そんなことを聞いてくる気がしたよ」という台詞の中に込められて、とても哀しい台詞に聞こえたのかな……。
さらに重ねて思うのは、それは英に対してだけ向けられた哀しみではなかったのかも。「誰もがひとつの理想を求め江戸の町を走りまわっている」とつぶやいた才谷(これ、天翔けるでは歌になっていたような?)。この言葉にも、同じ哀しみを感じたから。「何万の理想と1つの命を引き換えにしても構わない」と走り回る人々、ひいては時代に対して向けられた、痛み、なのかも。
なんて。たった一つの台詞だけで、いろいろ妄想しすぎです。銀さまが哀しみを背負う役が似合うからって、脳内でぐるぐる考えているうちに勝手に脚色してしまっただけのような気します。才谷って別にそれほど哀しい役ではなかったはずだものね。飄々と軽やかな風のように生きている人だったもの。
あああ。それにしても、もうあと何回か観たかったなー。こういう風に、いろいろ考えたことを踏まえて、もう一度舞台を観られたら、きっと沢山の発見があるだろうに。とても残念です。最初「天翔ける風に」を見たときは若干のりきれなくて、でも2回目見たらきっとすごくハマルんだろうなぁと思っていたけど、案の定ですよ!あああ…せめてTV放送してほしいなぁ…