イライザとニールが部屋を出ていくと、4人の間に変な空気が流れた。アーチーはまだ少し怒っている顔をしていたし、アニーは残念そうな顔をしている。彼は殺気こそなくなっていたがまだその瞳には怒りの顔が浮かんでいたし、アルバートさんは酷く悲しい瞳をして珍しく黙り込んでしまった。イライザを外に出してきたジョルジュが扉をノックすると、ハッとしてアニーが扉を開けにいった。
『ウィリアム様、ラガン兄弟は帰らせました。』
『ありがとう。ジョルジュ。』
アルバートさんは気を取り直した様に口調を明るくした。
『テリィ、アーチー、アニー、不快な思いをさせて悪かったね。僕の監督が悪かったんだ。我がアードレー一族からあんな兄弟が育つんだったら放浪なんてせずに、厳しく監督していればよかったよ。』
少し冗談まじりにアルバートさんが言うと、アーチーはようやく笑った。
『そんな事ありません、大叔父様。あの兄弟は生まれつき根性が腐っていたんですよ。それに大叔父様が放浪してくださらなかったら、僕らキャンディとあのまま別れていたかもしれないんですから。』
その言葉にアニーも頷くと、
『その通りですわ。それに大叔父様が放浪して下さらなかったら私とキャンディは、友達に戻る事ができなかったかも知れません。あの兄弟の性格はきっと生まれてくる前から決まっていたに違いありませんわ。』
と言った。彼も頷くと、
『アルバートさんが放浪していなかったら、僕はアルバートさんに出会えませんでした。それにキャンディとも…。だからご自分を責めたりしないで下さい。』
と言った。アルバートさんは彼らの言葉を静かに聞いて笑った見せる。しかしその笑顔にはなんとも言えない悲しさが滲んでいた。
『ありがとう。』
その言葉に頷く彼らの笑顔にも、なんとも悲しさが滲んでいたがそれを口にするものはいない。みんな互いの顔を見て、自分の顔も同じ表情をしていると分かったからだ。それぞれが違う事を考えていた。アルバートさんは、キャンディが人殺しだとイライザが言っていたと聞いたときの事を思い出していた。アルバートさんは人殺しと聞いて、胸が痛んだのだ。アルバートさんは彼女と同じ様にアンソニーの死について責任を感じている。自分がきつね狩りなど催さなければ…と。彼女を養女にした事は一切後悔はしていなかったが、自分がきつね狩りを催したせいで彼女は目の前でアンソニーを失う事になってしまった。だからアーチーからイライザが言った事を聞いて、自分を責めてしまったのだ。それと同時に彼女を人殺し扱いするイライザが許せなかった。
アーチーはアンソニーの背中を抱きしめて気を失っていた彼女の事を思い出していた。青い顔をした彼女と、目を覚まさないアンソニー。始めに気がついたのはステアだった。変わり果てたアンソニーの背中は彼女の涙でぐっしょりと濡れていた。何度揺すっても2人は目を覚まさなかった。大急ぎで一族の大人を呼んできたが、アンソニーは助からなかった。深い悲しみに打ちひしがれたが、その一方彼女が生きていると知った時は嬉しかった。だが目を覚ました彼女がアンソニーの死を知った時に、どんなに絶望するのかを考えると眠り続けて欲しいと思ったのだ。目を覚ました彼女はやはり絶望していた。目の前でアンソニーを失った彼女は、前とは少し変わってしまった。純粋な笑顔が減って、無理をして笑っている様な顔が増えていたっけ。そんな彼女を人殺し呼ばわりするイライザが許せなかったし、信じられなかった。
アニーはアンソニーが亡くなったばかりの頃の彼女を思い出していた。直接声はかけられなかったが、心配で彼女の様子をこっそりと見にきていたのだ。レイクウッドの森の中でクリンを抱きしめて、声を押し殺して泣いていた彼女を見て自分ももらい泣きしていたっけ。アンソニーの事はあまり知らなかったけど、お茶会で何度か話した事はあつた。アンソニーのお葬式にも参列していたアニーは、キャンディがどんな気持ちだったかよく知っていた。死んでしまいそうなくらい落ち込んでいた事も想像できる。彼女から聞いた事があったのだ。自分の目の前で落馬していったアンソニーが何故かスローモーションで再生されるのだ、と。それは思い出す度にあの時と同じ恐怖が舞い戻ってきて、自分の悲鳴が遠くで聞こえるのだ、と。そして何年経っても思い出す度に、記憶はより鮮明に鮮やかになっていく。そしてずっと自分を責めているのだ、と。そんな彼女を人殺し呼ばわりするイライザが、アンソニーの代わりになればよかったのに、と心の底からアニーは思った。
彼は馬に乗った自分を見て悲鳴を上げていた時の彼女の事を考えていた。あの夜の彼女は酷く錯乱していた。自分を忘れた様に、まるで別の人の様に、馬を見て叫んでいた。その表情は見たこともないくらい恐怖で満ち溢れていて、胸が張り裂けんばかりに泣き叫ぶ声は、悲哀と苦痛に満ち溢れていた。アンソニー、と繰り返すうわ言は声が掠れていた。その顔には涙が滲んでいたっけ。彼女はあんなに苦しんでいたのに、イライザはあの時も人殺し呼ばわりしていた。もしあの時に戻れるなら、イライザをアーチーの様に殴り飛ばしてやりたかった。
『あの兄弟は、一族から破門することにするよ。ニールが起こした事件の時に本当は絶縁するつもりだったんだ。彼女にとめられたから、保留にしていたが…今回の事で決心がついた。アーチー、アニー、君達は賛成してくれるね?できればラガン家とも縁を切りたい所だけど…そうすると大叔母様がうるさくてね。』
アルバートさんが言うと、アーチーとアニーは頷いた。アルバートさんは彼の方を見ると、
『ニールが起こした事件についてはまた別の機会に話そう。それよりも、君と話がしたい。』
と言った。彼が頷くと、アーチーとアニーはジョルジュに連れられて部屋を出ていった。
『何から話をしようか。テリィ、君と会うのは久しぶりだね。君の活躍は新聞で追ってたよ。』
『アルバートさん、ありがとうございます。まさかあなたがウィリアム大叔父様だったとは…驚きました。』
彼がそう言うとアルバートさんは笑った。
『キャンディにも随分驚かれたよ。僕の前で何回も何回もウィリアム大叔父様の話をしていたからね。アーチーも、アニーも相当驚いていたよ。パティにもなんで隠していたんですか、と責められたんだ。』
『そうだったんですね。何で正体を明かしたんですか?』
彼も笑いながら聞いた。するとアルバートさんの顔が、曇っていった。言いにくそうにぽつぽつと話し始めた。
『テリィ、君にはいつか話さなければいけないと思っていたんだが…』
アルバートさんは、ニールがしでかした事件について、彼に説明した。ニールが彼のフリをして彼女を呼び出して彼女が襲われそうになった事、彼女と婚約できないのなら自分もステアの様に志願兵になると言って脅して結婚寸前の所で、ジョルジュがはじめて自分に背いて彼女を連れて来たこと、それによって自分の正体がバレたのだと話した。彼は怒りに震えていた。アルバートさんに対してではなくニールに対して今まで感じた事のないほどの怒りを感じていた。
『黙っていてすまなかった。テリィ、僕はニールを破門にしようとしたんだが…彼女に必死で止められて保留にしていたんだ。だが今回の事で、あの兄弟は一族破門にする事に決められたよ。』
申し訳けなさそうなアルバートさんに彼は首を降った。
『いえ、そんな事ありません。僕達は離れていたんですから、気になさらないで下さい。それにしてもニールの奴…彼女は大丈夫だったんですよね?』
彼は一旦自分を落ち着かせた。ニールは今ここにいないんだから、怒っても仕方がないのだ。だが今度あったら…ただじゃあおかない、と思っていた。もしも今、ニールの顔を見たら殴り殺してしまいそうだと彼は苦笑いをした。だがその怒りを収めるのにはそこまで時間はかからなかった。今は怒っている暇はないのだ。何しろ彼女の緊急事態なのだから。彼はアルバートさんが頷くのを確認すると、話題を本題に切り替えた。
『それなら僕は大丈夫です。そんな事よりキャンディが、緊急事態なんですよね?彼女はまだ大丈夫なんですか?』
『あぁそうだった!テリィ、君には未来の奥方がいるのに来てもらって…。すまない。手紙にも書いたと思うが、彼女は戦地に赴こうとしているんだ。今の彼女を止められるのは君しかいないと思ってジョルジュに手紙を託した。』
アルバートさんも切り替えた様だ。
『アルバートさん、その事なんですが僕はスザナと別れました。スザナに振られたんです。なので気にしないで下さい。僕もこの公演が終わったら彼女に会いにいくつもりだったので…その予定が少し早まっただけです。彼女は今、どこに?』
『それはよかった…、と言ってもいいのかな?キャンディはレイクウッドの屋敷に1人でいるんだ。まだいると思うけど、なるべく早めに会ってあげてほしい。』
『もちろんです!僕はずっとキャンディの事が…。なんなら今すぐにでも会いに行きたいくらいです。』
彼は身を乗り出してそう言った。アルバートさんは頷くと、
『君がそう言ってくれると思ってジョルジュがもう車の準備をしてくれているんだ。慌ただしくて申し訳けないけど、一緒に乗っていってくれるかい?アーチーもアニーも一緒に行く予定だ。』
と言った。彼も頷くと、2人は書斎を出ていった。そしてすぐに支度を終えると、ジョルジュの車に乗り込んだ。車は走り続けて次の日の夜遅くにレイクウッドの屋敷についたが、屋敷に明かりは灯っていなかった。彼らは間に合ったのだろうか?