アーチーと彼が談笑していると扉を叩く音が聞こえた。
『アーチー?ちょっといいかしら?』
アーチーが扉を開けるとアニーが入ってきた。アニーはお茶を持ってきた様だ。
『ありがとう、アニー。』
『あら、いいのよ。私も彼とお話したかったんですもの。テリィ…。お久しぶりね。私の事を覚えていらっしゃる?あなたの活躍はいつも新聞や雑誌で見ているわ。』
久しぶりに見るアニーは昔より少し大人びていた。濃いブラウンの髪をゆるくハーフアップアレンジに結い上げたアニーの左手の薬指には指輪が輝いていた。
『あぁ、君は…アニーだろう?キャンディの幼馴染で親友だった。』
彼はアニーを懐かしく思っている自分に、驚いていた。彼は自分でも気がつかないうちに、性格だけではなく人を懐かしく思える様になっていたのだ。それも殆ど関わりがなかったアニーの事を。10年前の彼なら、彼女以外の人を懐かしく思うことはなかった。どんなに苦しんでいても、時は確実に良い方向に流れていたのだと思うと苦しかった10年も彼は気にならなくなった。
『今は僕の妻でもあるけどな。アニー・コーンウェルだ。1年前に結婚したんだ。』
『本当に長い時間がかかったけど、ようやく初志貫徹したのよ。アーチーったらなかなかキャンディを諦めなくて。もっともキャンディにはその気はなかったし、私との事を応援してくれていたのだけれど。』
するとアーチーは困った様に笑った。
『アニー、君はそう言うけど僕がキャンディを諦めたのは学院時代の事だ。キャンディにきっぱり振られているし、僕はそこまで女々しい男じゃないぜ?』
『あらアーチー、私は何でもお見通しよ。あなたの事ならなんだって分かっているわ。私がどれだけ幼い頃から…。とにかくあなたの事なら分かるのよ。だから今のあなたが私の事を愛してくれているのも分かっているわ。』
彼は微笑ましい痴話喧嘩をする2人を見ていた。
『アニー、君は強くなったな。君の前じゃコーンウェルもたじたじじゃないか。』
彼がそう言うとアニーは笑った。
『強くもなるわ、キャンディの側にいたら。』
『確かに強くなったよな。あの大人しいパティも最近じゃイライザやニールに反論するまでになった。凄いよな…。信じられるか?キャンディのパワーはすごいな。アニーもキャンディに影響されて、あの連中にも反撃するんだぜ。あの頃の彼女達には考えられないだろ?』
『その通りだな。コーンウェル…。そんなに彼女の影響で変わったなら、アニーやパティがあの連中に反撃している所をいつか見てみたいよ。』
彼がそう言うとアーチーとアニーは顔を見合わせて苦笑した。
『そう待たなくてもすぐに見れるさ。グランチェスター、君がここに来ている事をあいつらはどこからか聞きつけて来たみたいだ。君が着く少し前にあいつらを見張らせてたスチュワートから連絡が来た。あいつらがここに来るのは時間の問題さ。ジョルジュに足止めする様に言ってある。でももうすぐ来るだろうな。』
アーチーが言っている側から廊下で大騒ぎしている音が聞こえてきた。アーチーは頭を片手で抑えて溜息をついて見せた。彼も苦笑いしながら頭を片手で抑えて、もうすぐ来るであろう彼らを待っていた。彼がアーチーの隣にいるアニーに視線を向けると、不敵な笑みを浮かべていた。
『テリィお会いしたかったわ!私を迎えに来てくださったのね?あんないやらしい欠陥品と別れてここで暮らさないこと?あんな女より私の方があなたとお似合いよ。』
久しぶりに見るイライザは何も変わってはいなかった。あの赤い巻毛も、高慢で高飛車な態度も、自意識過剰な所も口を開けば人の悪口を言う所も。他の人は少なからず成長した様に感じたが、イライザに関しては何も変わらない、むしろこじらせている。自分がイライザに対して持ってる嫌悪感もやはり変わっていない。
『これはこれは…。どちら様ですか?コーンウェル、君の親戚や知り合いにこんなに捻くれた人の悪口を言う典型的な醜い顔をした人はいたかい?アニー、君の周りには人を馬鹿にした様な態度で威張り散らす高慢で高飛車な赤毛の女はいたかい?』
彼はにやりと笑いながら、アーチーとアニーを見つめた。芝居がかった動きをしながら言う彼を見て、心底おもしろそうにアーチーは調子を合わせた。その表情はアンソニーやステアといたずらをしていた時の様に楽しそうだった。
『いやぁ、こんな人は知らないなぁ。僕の親戚や知り合いにいるのは、決まって明るくて愉快なやつばかりなんだ。それも揃いも揃って美男美女さ。こんなに醜い顔は、未だかつて見たことがないなぁ。彼女と来たらまるで童話から出てきたシンデレラの醜い継母じゃないか。ねぇアニー、この人は君の知り合いかい?』
するとアニーもクスクスと笑いながら調子を合わせた。
『あらアーチー。シンデレラの醜い継母は彼女に失礼よ。そうねぇ…ヘンゼルとグレーテルに出てくる魔女かしら?だから髪が赤いのよ。焼かれてしまって可愛そうにね…。火傷の痕が髪にも残ってしまったに違いないわ。テリィ、アーチー。私の知り合いにも親戚にも…こんなに意地悪で人を馬鹿にした態度をとる、高慢で高飛車な赤毛の女性はいなくてよ。ただ同じ巻毛の女性なら知っているわ。とても明るくて、元気で優しい女性よ。彼女の髪の毛は輝く様な金髪で…羨ましくなるほど性格も外見も美人さんなのよ。まるで御伽話の中のお姫様みたいなの。少しお転婆なんだけれど…。ねぇテリィ、この女性は度が過ぎる…。あなたの追っかけファンなんじゃない?』
アニーは少しイライザに悪いと思いながらもこの状況を楽しんでいた。今までさんざんいじめられて、ひどい目に合わされてきたのだ。少しくらいの仕返しをしても、罰は当たらないはずだ。これまでのイライザの酷い仕打ちを、皆知っている。誰も自分を責めたりはしないだろう。彼女が言いそうな言葉をすらすらと口にした。
『いや、俺のファンならこんな事はしないはずだ。それより君の言っていた女性なら、俺も知っている。ターザンが、誰よりも上手くてお転婆な女性だろう?とびきり優秀な…看護婦で、今や天下に名だたるアードレー家の養女だな。そして俺の未来の妻になる予定の女性だ。』
彼もこの状況を楽しんでいるのを隠そうともせずにそう言った。アーチーは惚気る彼に少し呆れながら
『おいおい、彼女は君の妻になるとは言ってないぜ?でも僕も彼女の事ならよく知ってるよ。投げ縄が得意で木登りもおてのもの。それに料理上手だ。』
と補足した。ここまで言いきってから、イライザの顔を見ると肩を震わせている。イライザの顔は悔しさと憎悪に満ち溢れていた。そして後にただ立っているだけのニールをつつきながら、嘆いてみせた。
『酷いわ。みんなして私を虐めるのね!お兄様もなんとか言って頂戴よ。たった1人の妹が可愛そうに思わないの?テリィ、あんな女のどこがいいの?人殺しで孤児院出身のくせに…!なまいきなのよ!ようやくあんな子と別れたと思ったら…、次は欠陥品の元女優と婚約するんですもの。でもあの欠陥品を捨てて来てくださったのね?あんな女達より、私とあなたの方がお似合いよ!』
そこまでは甘ったるい猫なで声を出して彼に甘える仕草をしていたイライザだったが、後の2人にはキッと睨んだ。
『アーチー!よくも従兄弟であるこの私を無視できたわね!そう、大叔母様に言いつけてやるから!アニー!あなたもなんだからね!孤児院出身のくせに本当になまいきなのよ!テリィ、この人達は放置して行きましょ!あの時のホワイトパーティーの続きをしないこと?』
アーチーは肩を竦めてアニーを見た。アニーはアーチーを見ると、肩をすくめで首を振ってみせた。イライザの、二重人格は凄まじさを増していた。ニールはうんざりだという顔をして、我関せずという様に横を向いた。こちらは少し成長した様だ、と彼は思っていた。でも実のところを言うとニールは彼女に関係する人達と関わりたくないだけなのだ。アーチーはイライザに言い返そうとしたが黙る事にした。彼はニコニコと笑っていたが、隠しきれていない殺気をアーチーは感じ取ったのだ。
『残念だがレディ、僕は本当にあなたの事を存じ上げない。
あなたはスザナの事を欠陥品呼ばわりするが、僕とスザナの何を知っているのでしょう?スザナが僕を救ってくれなければ僕が今ここにいない。それに、彼女の事を人殺しと仰っていますが彼女がいつどこで人を殺したって?誰が誰を殺したんです?名誉毀損で法廷に訴えてやろうか?』
彼が怒りを露わにした。昔の様に感情に任せて怒鳴ったりはもうしなかった。淡々と口にした。だがそのオーラは凍りつく様に冷たく、その瞳には殺意すら感じられる程の怒りの色が浮かんでいた。彼の後にアーチーは呑み込んでいた言葉をイライザの胸ぐらを掴んで言った。
『ふざけるなイライザ!よくもキャンディとアニーを侮辱したな!お前ら兄弟にはもううんざりだ!恥を知れ!よくそんなに酷い事を言えるな。君の言葉を借りるならよくも格上のアードレー家のご令嬢に対してつけ上がれるよな。大叔父様に言いつけてやろうか?きっと凄くお怒りになるだろうな。大叔父様はキャンディを、娘の様に可愛がっていらっしゃるから。その愛娘を人殺し呼ばわりしたんだ。君は破門されても仕方がない事を言ったんだぜ?せいぜい帰った後、追い出された時のキャンディみたいに身支度を整えて置くんだな!…大叔母様に言いつけても無駄だよ。大叔母様だって大叔父様には逆らえないんだからな。』
そう言うと、アーチーはイライザを一発殴り飛ばした。彼はと言うと…もっとやれ、とばかりにアーチーに視線を送っていた。アニーは後ろを向いて顔を手で覆っていた。暴力は嫌いなのだろう。だが止めはしなかった。キャンディを殺人犯呼ばわりするイライザを許せなかったのだ。
『きゃぁ!』
イライザの悲鳴が響き渡る。ニールは面倒くさそうに、瞳だけ頬を抑えているイライザに向けた。ジョルジュは、扉のすぐ向こうにいたがイライザを助けなかった。その時、自分の主人が廊下の向こうから歩いて来るのが見えた。
『ウィリアム様、お帰りなさいませ。』
一瞬怒りのあまりポーカーフェイスを崩したジョルジュはすぐに表情を戻すと、主人の元へと向かった。
『やぁ、ジョルジュ。彼は見つかったかい?』
少し先の扉の中で、そんな事が起こっていたとは知らずアルバートさんはジョルジュに訪ねた。
『はい、見つかりました。こちらにお連れしております。ただ今アーチーボルト様とお話しをしております。ただ…今はお会いになられない方が…。』
『そうか。彼がいるのは書斎だね。ありがとう。』
ジョルジュの話を最後まで聞かずに、アルバートさんは書斎の扉を開けた。
『アーチー、失礼するよ!やぁ、テリィ!久しぶりだね。突然手紙を寄越してすまなかった。』
アルバートさんは目の前の状況に目を丸くしていた。
『お久しぶりです、アルバートさん。突然お邪魔をして、申し訳けありません。』
彼はアルバートさんに頭を下げた。アーチーもアニーも一緒に頭を下げている。イライザとニールだけが、呆然としていた。イライザはハッとすると、わざとらしい泣き声を上げた。その顔には涙は1つも浮かんでいなかった。
『大叔父様〜!アーチーったら、私を殴り飛ばしたのよ!もうお嫁にいけないわ!どうにかして下さいませ!』
アルバートさんはアーチーの方を見た。
『…とイライザは言っているがアーチー。どういう事だい?イライザの頬を見た所、赤くなっている様に見えるが…。』
アーチーは怒りを隠そうともせずに口にした。イライザはアルバートさんの背中に隠れてニヤニヤしていた。
『大叔父様、僕がイライザを殴ったのは事実です。ですが僕が理由を言ったら大叔父様もイライザを殴り飛ばしたくなるに違いありません。ここにはさっき起こった事を証言できる人が沢山います。イライザ、覚悟しておけよ。ではお話しします。僕は彼と話をしたかったので、ジョルジュに頼んで2人きりにしてもらいました。彼と話をして僕達はは和解しました。そこでアニーがお茶を持ってきてくれて彼女も加わって談笑をしていました。僕はイライザに邪魔をされたくなかった。だから…ラガン家のスチュワートに、見張らせていたんです。そしたらイライザが上手く逃げてしまったという連絡が来たのです。彼女はやって来るなり我々3人とキャンディを侮辱し始めました。孤児院出身の事を馬鹿にしたり、キャンディを…人殺し呼ばわりしたんです。大叔父様、キャンディは人殺しなどしていません。イライザはアンソニーの事故の事を、キャンディのせいにしているのです。』
アーチーから話を聞いたアルバートさんは、イライザを振り返った。その瞳は哀しさで満ち溢れていた。
『イライザ、彼の話が本当なら僕は君を罰する。もう一度聞くけど彼の言った事は事実かい?』
イライザは首を横に振って嘘をついた。
『大叔父様、私はそんな事は言ってませんわ!』
アルバートさんは困った顔をして、もう一度アーチーを見た。イライザがそう言う事を言っているのは昔からよく知っている。そしてアーチーの顔を見れば、本気で怒っているのが分かる。だがここでアーチーの言う事を信じて、罰を与えてしまうと彼女達が何をしでかすか分からない。
『アルバートさん、コーンウェルの言ったことは間違っていませんよ。確かにイライザはキャンディやアニー、スザナの事を侮辱しました。キャンディを人殺し呼ばわりした事も事実です。補足するなら僕達は言い返したり、キャンディやアニーの名誉を取り戻す発言をしました。イライザを…アーチーが殴ったのは、キャンディを人殺し呼ばわりしたからです!立場上、イライザを殴り飛ばす事はできない僕の代わりにしてくれたのです。もし役者という仕事をしていなかったら、間違いなく殴り飛ばしていました。』
彼の言葉にアニーも頷くと、
『大叔父様、彼の言うとおりですのよ。イライザは私達のポニーの家を馬鹿にして、その上キャンディを人殺しって罵ったんです。私…耐えられない!キャンディがアンソニーさんを目の前で失ってどれだけ悲しんでいたか知っているから…。キャンディは何も悪くないのに未だに自分を責めているのよ。自分が養女にさえならなければって。それなのにキャンディを人殺し呼ばわりするなんて…!アーチーが、殴り飛ばしていなかったら私が叩いていたわ。』
と最後の方は涙を流して言った。アーチーが隣でアニーの肩を静かに抱いてこう言った。
『確かにイライザに手を出してしまったのは、悪い事かも知れません。ですが大叔父様、愛する愛娘を人殺し呼ばわりされてイライザを許せますか?』
アルバートさんが口を開こうとすると、イライザがまた反論をした。
『確かに昔はからかって遊んでたりしていました。でも、今はキャンディの方が格上のお嬢様です。そんな彼女を…私が人殺し呼ばわりするとお思いですか?大叔父様〜。』
ところが今まで貝の様に黙っていたニールが
『はっきりと人殺しって聞こえたぞ。アーチーに殴られていい気味だよ。お前に尻に敷かれるのはもううんざりだ。もうお前のおもりをするのもごめんだ。』
と聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。彼はもちろんアルバートさんやアーチーや、アニーの耳にも、その声は届いていた。イライザだけが必死で言い訳をしていた為、ニールの発言を聞いていなかった。
『イライザ、もう嘘をつくのはやめるんだ。今のニールの言葉を聞いたら分かる。残念だが僕は君を断じて許さないつもりだ。誰になんと言われようと関係ない。権力を翳すのは嫌いだが、今回ばかりは使わせてもらおう。ニール、とりあえずイライザを連れ帰ってくれないか。処罰は後日決める事にする。』
アルバートさんの言葉にイライザはまだ言い訳を続けていたが、タイミングよく現れたジョルジュとスチュワートに連れ出されて行った。