彼女は部屋に戻ると、棚から小箱を取り出した。唯一彼女の手に残ってたアンソニーの写真を大切そうに取り出す。静かにテーブルに置いて、エミリーがくるまで眺めていた。しばらくすると遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。

『キャンディス様、お招きありがとうございます。エミリーでございます。』

 彼女が扉を開けるとエミリーが立っていた。

『エミリー、よく来てくれたわね。さぁ、入って頂戴な。ソファへどうぞ。』

『ありがとうございます。失礼致します。』

 そう言うとエミリーはテーブルを挟んで彼女の向かい側にあるソファに座った。テーブルにはブロンドの髪をした少年の写真が置いてある。

『あ、そうそう。お茶を入れなきゃ!少し待ってて頂戴。』

 彼女がそう言うと、エミリーは

『すぐにイメリアさんが持ってくると申しておりました。キャンディス様。』

 と言った。エミリーがそう言っているうちに、扉を叩く音がしてイメリアがお茶を持ってきた。

『失礼致します、キャンディス様。どうぞごゆっくり。』

 そう言うとイメリアは出ていった。紅茶を片手に彼女はぽつりぽつりと話を始めた。

『エミリー、あなたも知っていると思うけど…。私はこの家の養女なのよ。私はもともとアメリカの片田舎にある村の孤児院出身なのよ。ポニーの家という所でね…』

 エミリーは彼女の話を興味深そうに聞いていた。ポニーの家を語る彼女の状況描写はとても分かりやすく、まるで自分もそこに行ったことのあるかの様に、その景色が想像できた。彼女の幼い頃の話を聞いているのはとても楽しい時間だった。

『でもね、ポニーの家では12歳の私を置いておく余裕は、なかったのよ。それでどうにかしてお金を稼ごうと思っていた時だったわ。立派な車がポニーの家の前に止まって…私、養女になれると思い込んで車に飛び乗ったのよ。でもそのお屋敷に必要とされていたのは養女ではなくてお屋敷のお嬢様、つまりイライザの遊び相手だったの…。始めはラガン家に引き取られたのよ。でもイライザはあの通り…とてもいじわるだった。その兄のニールと私をいじめて、色んな罪を着せられたわ。挙げ句の果てには馬小屋に住まわされた事もあった。そんなある日ね、とうとう耐えられなくなって私泣いてしまったの。森の中をかけていって…つまづいてそのままそこで泣いていたのよ。泣かないで、ベイビーちゃん…って優しい声が聞こえてきたのはその時なの。それがこのテーブルにある写真の少年…アンソニーとの出会いよ。そして次々とアーチーボルト、アリステアと出会ったの。とても楽しかったわ。4人で過ごした日々は一生忘れない。アンソニーはね…』

 彼女は話しながら写真をエミリーに渡した。エミリーは彼女の話を聞きながら写真の中の少年を見つめた。優しいブルーの瞳で笑うブロンドの髪の少年の笑い声が聞こえてきそうだ。アンソニーの事を語る彼女の瞳は幸せそのものでエミリーが初めて見る表情だった。彼女は兄弟に虐められながらも4人で過ごした日々を楽しそうに語っていた。エミリーは頷きながら考えた。やはりイライザは、彼女を虐めていたのだ。今までエミリーが見てきたアードレー家の人々からは陰険な雰囲気はあまり感じなかった。それはまだ接した人数が少なすぎるからだということもあるが、イライザにはとてもいじわるな雰囲気が漂っていたのだ。ふとアンソニーの写真から顔をあげると段々彼女の表情が曇ってきているのが分かってエミリーは緊張した。

『私が養女になったのはね、イライザ達の罠にはめられてメキシコに売り飛ばされそうになったからなのその時に、アンソニーを始めアーチーやステアが大叔父様に手紙を書いてくれて…メキシコに行く馬車からウィリアム大叔父様の秘書のジョルジュが私を連れ出してくれた。そして私はアードレー家の養女になったのよ。とても幸せだったわ。幸せすぎて何度も夢じゃないかって思ったの。今思えば、全部夢だったのかも知れないわね。浮かれて、何も考えてなかった私はこの後すぐ起こる悲劇をまだ知らなかった。愚かだったわ。何も知らないで浮かれていて…。』

 エミリーは彼女の手が震えているのに気がついた。よく見ると、彼女の全身が震えていた。顔も真っ青だ。

『キャンディス様?大丈夫ですか?今すぐ人を呼んで参りますわ。お休みになってください!』

 エミリーがそう言って席を立ち上がると、彼女も立ち上がった。

『待って、エミリー。私は大丈夫よ!気にしないで頂戴。少し辛い話をしていたからちょっと震えてしまったのよ!それだけなの。私はどこも悪くないわ!』

 と言った。エミリーは心配そうな顔をした。

『キャンディス様、あまり無理をなさらないでください。無理をなさってまでお話されなくても、私は大丈夫です。またキャンディス様がお話できる時にして下されば…。』

『ありがとう、でも今だから聞いて欲しいの。話の続きをしてもいいかしら?』

 彼女が言うとエミリーはまだ心配そうな顔をしていたが頷いて座った。

『心配かけてごめんなさいね。エミリー。続きを話すわ。ある風の強い朝の事だった。いつもの様に私はアンソニーの薔薇園に歩いていったの。あと少しで散ってしまう薔薇の花弁がハラハラと舞っていたわ。何故かとても嫌な予感がしたのを今もはっきりと覚えているの。アンソニーは、薔薇を見つめていたわ。声を掛けようとしたんだけど彼の後ろ姿がとても遠くに感じられたの。…おかしいわよね、手を伸ばせば届く距離にいたのに。いくら走っても届かないくらい遠くにアンソニーがいる様に感じたわ。その時、アンソニーはゆっくりと私を振り返ったの。』

 彼女はアンソニーとした会話を少し再現してみせると、悲しそうに笑った。

『その後ね、アンソニーのお母様のお話を聞いたの。彼のお母様が彼が幼い頃に、亡くなっていたのは知っていたんだけどアンソニーが初めて話してくれたのよ。アンソニーと同じく薔薇がお好きだったこと、病弱であまり外に出ていられなかったこと、美しい緑色の瞳をしていて、笑うとその緑色が少し薄くなり優しい笑顔になること…。そしてアンソニーのお母様の言葉を聞いたわ。"アンソニー、薔薇は散るから美しいのよ。咲いては散り、咲いては散りながら花は永遠に生きているのよ。花は散ってより美しく咲き、人は死んで人の心により美しく甦るの。アンソニー、ママは永遠にあなたの中で生き続けるわ。"って言ってたかしら?それからアンソニーのお母様との思い出、そしてその言葉を言われてから3日後にお母様が亡くなられた事も…。』

 エミリーは彼女の話を聞きながら涙を流していた。遠い昔の事を思い出していたのだ。マイクと知り合う前の恋人の事をエミリーは考えていた。不慮の事故だった。未来を約束していた彼が腕の中で冷たくなっていくその感覚が、静かに甦る。"花は散ってより美しく咲き、人は死んで人の心により美しく甦るの。"その通りだと思って頷いた。両親に彼との交際を反対されて辛い時期もあった。その事で、彼と喧嘩もした。だけどそんな時間の彼さえ、エミリーの心の中には美しく甦っていたのだ。彼女はエミリーの涙に気がつかないまま、話を続けた。

『アンソニーはとても遠い瞳をして私に話してくれたわ。話終わった後、薄い朝の空よりも澄んだ瞳をして笑う彼が瞳を閉じたら光に溶けていってしまう様な気がして、私はしばらくアンソニーから瞳を反らせなかったの。あの時の息苦しいくらいの胸騒ぎは忘れられないわ。』

 彼女はあの日のアンソニーの様な遠い瞳をして微笑んで見せた。その瞳には何も映っていない。真っ黒に染まっていく様に空っぽになっていく彼女の瞳からエミリーは瞳を離せなかった。そんな話をしている彼女が、どこか遠くに行ってしまいそうな気がしてエミリーはじっと彼女の瞳を見つめていた。

『イライザが私を人殺し、と呼ぶのはね…。その次の日に起こった事件のせいなの。その日は見事な快晴だったわ。今はなくなったけどアードレー家では事ある事に狐狩りを昔はしていたの。その日は養女になった私のお披露目で、狐狩りが開催されたのよ。アーチーとステアは穴場を知っている、と2人で先に行ってしまったの。その日の賞品は真っ赤なルビーのペンダントだったのよ。私はアンソニーにエスコートされて、2人で馬を走らせていた。他に人がいるとは信じられないくらい静かな森の中…。木漏れ日が私達を照らしていて…アンソニーの優しい微笑み…。私達は2人で話しながら夢の様な時間を過ごしていたわ。幻想的な森の中で、アンソニーの時間は永遠に止まってしまったのよ。ふとアンソニーが真剣な顔で何かを言いかけた時のこと…。ガサっという音がしたの。狐が飛び出して来て…。少し前にいたアンソニーは…アンソニーは振り返って私にこう言った。"キャンディ、僕が君にルビーを贈るよ!"って。そう言うと、アンソニーはうろちょろとする、狐を真剣に追い始めた。逃げ場を失った狐は全力で狂った様に右左に走り回って…その時だった!アンソニーの馬が狐を取る為の罠に引っかかったのは…。あぁ…アンソニー、アンソニー、アンソニーは暴れまわる馬から落馬してしまったの。一瞬のことのはずなのに私の中でその瞬間は何故かスローモーションで記憶されているの。自分の悲鳴も聞こえなかった。アンソニーはいくら揺すっても叫んでも、目を覚ます事はなかったわ。次に目を覚ましたのはベッドの上だった…。アンソニーの安否を聞くと、アーチーもステアも悲しそうに首を振るだけだった。私はアンソニーのお葬式に出る事も叶わずに、また気を失ってしまったの。』

 彼女は肩を震わせて泣いていた。彼女の中では語る度にあの時の感覚が甦る。話さなくても、森を歩けばその感覚は蘇ってくるし何度も夢に出てくる。思い出す度に薄れていって欲しいその記憶はより鮮明になっていくのだ。

『神様はとても残酷だと思ったわ。薔薇を愛した優しい人を…まだ15歳だったのに私から奪っていった。そしてその時の記憶や感覚をいまだに忘れさせてくれない。思い出す度により鮮明になっていくのよ。私のせいでアンソニーは死んでしまった。私が養女にならなければまだ生きていたかも知れないのに。一瞬で私の世界から色彩が消えたわ。アンソニーがもういない事が信じられなくて、今からでもメキシコに行けばアンソニーが生き返るんじゃないかって本気で思った事もあるの。死んだ人には二度と会えない、私にはそんな簡単で当たり前な事を理解するのには時間がかかったわ。アンソニーが死んでしまうまで、思い出す事が悲しいんだって思ってたの。でもそれは違った。楽しい時間を思い出す時は笑ってしまう。悲しい時間を思い出す時は泣いてしまう。でも本当に悲しいのは思い出の中で、生きているアンソニーに問いかけた時なのよ。問いかけても永遠に答えは返って来ないんだもの。あぁアンソニー、何故死んでしまったの?と聞いても、返ってくるのは沈黙とアンソニーの最後の微笑みだけなのよ。薔薇園でした、あの息苦しいくらいの胸騒ぎは今思えばアンソニーが死んでしまうという警告だったのかも知れないわね…。』

 彼女はそう言うと泣きながら微笑んだ。エミリーは彼女が無理をして笑っている様に見えて辛かった。エミリーとしばらく話していた彼女は、ふと近くに住んでいたパティに会いたくなった。アンソニーの事を話していたらステアの事を思い出したのだ。そしてステアの思い出には、必ずパティが出てくる。もうじきパティにも会えなくなる日がくる。アニー達にはこの間会えたけど、パティには会えなかった。エミリーが帰った後、彼女はマイクを呼び出した。最後にパティに会いたかった。

『マイク、車を出して頂戴。パティの家に行きたいの。』

 彼女はマイクに道案内しながらパティの家に向かった。パティの家は車で15分程走った所にあった。扉を叩くと、パティの母親が出てきた。

『ごめんください。キャンディス・ホワイト・アードレーです。パトリシアさんはいらっしゃいますか?』

『あら、キャンディスさん、いらっしゃい。うちのパティはたった今、週末開かれる教師会議の為に出ていったの。ごめんなさいね。2、3日は帰ってこないわ。』

 パティの母親は申し訳けなさそうな顔をしてそう彼女に言った。すれ違ってしまったのだ。彼女はパティの母親に

『ではパティによろしくお伝えください。』

 と言ってまたマイクの運転する車に乗ってレイクウッドの屋敷に戻っていった。